ふたり。-Triangle Love の果てに


事件が起きたのは、明くる日のことだった。


私がシトラスのバイトに入ってすぐのこと。


見覚えのある顔が店に入ってきた。


相手も「お、あんたは」と私を見て驚いた様子。


「そのせつはお世話になりました」


私が頭を下げるのを、ゆり子さんはそばで不思議そうに見ていた。


そして「知り合い?」と小声で訊いてくる。


彼が席に着くのを目で追いながら、泰兄が昔お世話になった鶴崎組の組長さんで、銃撃された時には何かとよくしてもらったのだと答えると、みるみるうちに彼女から血の気が引いていった。


…ゆり子さん?


そう声をかけようとした時、鶴崎組長が彼女を手招きした。


強ばった顔で彼のもとに赴くゆり子さん。


「今日はどうしても抜けられない用事があって、モーニングを食べ損ねたよ。特別に作ってもらえないかな」


モーニング…


ということは、ゆり子さんに花やブランド物を贈っていたのは、鶴崎組長…


「ところで考えてくれたかな、この前言ったこと」


ゆり子さんの背中が小さく見える。


「この店だって悪いようにはしないよ」


聞こえてくる会話に、不安が募る。


「確かに俺には妻子がいるが、子どもも独立してるし、大人のつきあいをしていけばいいんじゃないかな。君の生活の全ての面倒だってみるだけの余裕はあるんだ」


それって…


それって愛人契約…ってこと?


もちろんゆり子さん、断るはず…


そう思って私はじっとカウンターの中で事の成り行きを見守っていた。


でも彼女は何も言わない。


うつむいたまま、何も言わないの。


どうしてはっきりと断らないの?


ゆり子さんには橘さんがいるじゃない。


そこで初めて気付いたの。


彼女が断れない理由。


さっきの私の言葉…「泰兄が昔お世話になった組の組長さん」。


これで彼女はすぐにわかったはず。


目の前の常連客が、橘さん自身もお世話になった人なんだって…


この話を断れば、彼にきっと迷惑がかかってしまうんじゃないかって、きっとそう思ってる。


自分の気持ちよりも、橘さんの立場を第一に考える彼女なら、愛人になれという鶴崎組長の言葉を受け入れかねない。


それで愛する人を守ることができるのなら、彼女は潔く身を捧げてしまうかもしれない。


そんなこと…


そんなこと絶対だめ!


絶対にそんなことはさせない。


やっと再会できたふたりなのに!


私はエプロンのポケットに手を突っ込んだ。


迷いなんてなかった。


震える指で、私は携帯のボタンを押し続けた。



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