万年樹の旅人
「――ああ、悪かったね。仕事の途中かい?」
所在無く二人のやりとりをただ見ていることしかできないジェスに視線をやり、アズは体を起こし言った。
「ジェス。またあなたとお話できるかしら。今日は恥ずかしいところばかり見られてしまったから、今度はちゃんとお話したいわ」
「わたくしなんかでよければ、いつでもお供いたします」
深く頭を下げ、それでは、と短く言い、二人を切り捨てるように背を向けた。ルーンとも、アズとも視線を合わせなかった。まるでアズから逃げるようだ、と自分でも思う。だがそれもあながち間違ってはいない。できることなら、もう関わりたくない。背を向ける直前に感じた、何か言いたげなルーンと、視線で人を殺せるのではないかと思われるほど鋭い眼光を湛えているのであろうアズが、脳裏で複雑に交差し、そしてそれらがジェスに深いため息をつかせた。
(まぁ、話す機会なんてそうそうないとは思うけど)
そう思い至ったら、少しだけ気分が楽になった。自然と歩く速度も速まる。
背後を刺すような二人の視線も、万年樹の香りも気配も薄くなりはじめた頃、ジェスはふと眩暈に似た感覚に捕らわれ立ち止まり目を瞑った。色鮮やかな景色が、一瞬にして真っ白な閃光の渦に変貌した。
突如流れ出した風が、ジェスの鋼のような黒髪を撫でいたずらに遊ぶ。かたく瞑った瞼の裏が焼けるように熱く両手で顔を覆うと地面に崩れ落ちた。ごうごうと唸りを上げているのは風の音か。それとも――獣の声か。
そこまで考えて、咄嗟に目を開けた。
一番に目に入ったのは低い天井に使われた木の年輪だった。湿った匂いと、所々かびて染みになってしまった天井は、見慣れたもののはずなのに、やけに異質なものを見ている感覚になる。
暫くして、ようやく意識が戻ると、自分が寝台の上で横になっていることに気付いた。
――夢だ。
そう納得するまでどれくらいの時間が必要だっただろうか。恐らく今「ジェス」と呼びかけられたなら、ユナは無条件で振り向いただろう。それほど、夢の中のジェスと意識が一体化していたのだ。
深呼吸をして、一度瞳を閉じる。そして再びゆっくりと目を開けたとき、やはり見えたのは低く、どこか薄汚れた天井。
光に溢れた万年樹が見える庭園は、どこにも見当たらなかった。