万年樹の旅人
庭園に近づくたびに甘い芳香が強くなり、ジェスに流れる緊張も強くなっていった。
女性に贈り物を買うのは生まれて初めてのことだ。どう相手に渡していいのかわからない。しかも相手は王女だ。買った髪留めだって、ジェスの安い給料では最高級のものだが、ルーンからしてみれば、なんてことはない値段に違いない。以前なくしてしまった髪留めと比べても、石の数や大きさも違えば、輝きだって大違いだ。それを思うと今から竦む。だが、買ってしまった以上、ジェス自身が持っていても仕方のないものなのだ。
片手のひらの中に納まってしまうほど小さな髪留め。上質の紙で包まれ、赤い留め紐は丁寧にも花の形に見立てて飾られていた。ジェスの手の隙間から、赤いリボンがひらひらと揺れる。
そして、先ほどから何度も息を吸っては吐いて、を繰り返していることに気付いた。自分でも驚くほど戸惑っている。鼓動も気のせいか速く、熱く感じた。昂ぶっているのだとわかった。
(たかが街で無理矢理買わされただけじゃないか。自分で持つにはおかしすぎる。それだけだろう……)
いつの間にか、爪先を見ながら歩いていたジェスの耳に、歌声が聴こえてきた。
よく聞き慣れた声、ルーンとリュウの声に似ている、と顔を上げて見つけたのは、万年樹を囲う石垣の上に腰をかけ、二人並んで歌を歌っている姿だった。時おりリュウが歌につまづき、ルーンがそれを見て笑いかける。やがてリュウが再び歌いだすが、どことなくルーンとは外れて歌う姿に、またお互いの顔が無意識のうちに綻ぶ。万年樹の葉の隙間から注ぐ陽の光よりも暖かい空気に満ちていた。
心温まる光景だというのに、ジェスはルーンの隣にリュウがいるのを見つけて、足が止まった。心臓が、音を立てながら迫ってくるような息苦しさを感じ、手の中にある髪飾りを更に力強く握る。
一歩を踏みだせずに佇むジェスの姿を見つけたルーンが、歌をやめ駆け寄ってきた。ルーンの先にあるジェスを見たリュウもまた、ルーンの後を追い歩み寄る。
どちらも疑いのない笑顔を浮かべていた。ジェスには、それが余計心苦しく感じた。なぜかはわからない。だが苦しい、とそれだけが胸の奥に落ちた。