はらり、ひとひら。
「今の私がお前にとって…信用に足らない存在だと言うことは理解している。
言い逃れはしない。現状、私の口からお前に話せることなどひとつもないからな。
だが覚えておけ。
お前は死なせん。必ず守る。私は私なりのやり方で、やらせてもらう」
どこまでも深い色の青い瞳。
ずうっと見ていると、吸い込まれてしまいそう。
誓うように手の甲に落されたくちづけ。
それがなんだか照れくさくて、どこでこんな口説き文句覚えてきたんだ、とおどけると師匠は唇を尖らせた。
「なんだ。人が誓いを立てているというのに」
「ふふ。ありがとう。師匠は…裏切ってなんかないよ。私は信じてる」
ううん。そう信じたい。
だから私はこれを伝えたい。言うべきなのは今なんだと思う。
今日が、この日になってしまったか。
「…私たち、契約はしていないんだよね」
「ああ。そうだが…?」
窓から差し込む月が明るい。
人にほど遠い師匠の横顔を美しく縁どった。
「人間が妖を式神として従えるには、契約で『御標し(みしるし)』を刻むことが必要。
これは互いを縛って、人が式神に力を与えるための媒介となる…
そうだよね?」
昔、神崎くんにそう聞いた。
─彼と灯雅は、契りを交わした正式な主従関係を結んでいるということ。
御印も見せてもらったことがある。
契りを交わすというのは─いろいろ手段はあるけど、殆どが『式神となる妖は主となる人間の血を酒に溶かして飲む』と『主となる人間は式神となる妖の妖力を籠めた酒を呑む』。
この行動が現在の主流らしい。
まるで婚姻のようなそれは、式神と人を繋ぐ絆のようなもの。
はたまた枷になる重りでもある。
「そうだ。だが私と杏子は契(ちぎ)っていない。
お前の身体には『御標し』なんぞはないだろう。それが証拠だ」
「うん。そう、ないよ」
だけど師匠は違うでしょう?
「師匠。私たち、契約はしていない。
だけどあなたには他に仕えるべき人がいる。
だったら、もう…こんな関係、終わりにしよう」
目に見える約束はしていない。
あの日出会ってただ、口約束を交わしただけ。
何が起きているのかわからず恐怖で震える私に、師匠がかけてくれた言葉は一生忘れないだろう。
「『お前を守ってやる』って言ってくれたの、本当に嬉しかったんだ。
実際師匠は今までずうっと守ってくれたよね…」
「杏子、お前何を」
戻れ、と短く言霊を。
手のひらサイズの小狐に変化した師匠は何をするんだと言いたげな目。
追い打ちをかけるように身動きを封じる文言で師匠の体を縛った。