はらり、ひとひら。


「─簡単なことだろう?」


平坂の体はとうとう限界を迎え、悪鬼に心を壊されてしまった。


閉ざしていた心の奥深く、根を張った怨恨の花はほころんだ。


─人から鬼へ転じた平坂は、神崎を襲った。

鋭い爪で、牙で、力で。


おお、おお。
すべてがこわされてしまった。

おまえのせいで。



「お前さえいなければ」


やがて怒りの矛先は、殺意の対象は椎名に変化する。


あやかしと呼ぶことを憚(はばか)るような膨大な力を宿した平坂は、もはや鬼神と化していた。



神の激情は町を飲み込み、空には暗雲が立ち込めた。

吹き荒ぶ風、地を穿つ雨。


ひん死に陥った夫を発見した椎名は、臆することなく、平坂にこう告げた。


「罪のない人間を巻き込むのはもっとも愚かな行いです」


「あぁ、あぁ。なんということでしょう。あなたは私ひとりを、殺すべきでした」


渦巻く愛憎、惨劇、そのさなかに光る一縷の光は天にさした。


「……けれどそれをしなかったあなたは、罪だ。

仇討(あだうち)ではないのです。
これは、ただしく『殺し』を行えなかったあなたへの誅罰です」



闇に隣り合うよう生まれたもう一柱の鬼神は、二対の剣を以って─もう一方の鬼神を斬った。



二柱の姫君たちの戦いは三日三晩続き、最後の晩に最後の力を振り絞った椎名が、平坂を大岩へ叩き付け、封をした。





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