その両手の有意義な使い方
「フミさん」

笑いながら、高遠が柔らかな声で文佳を呼ぶ。

「俺はずるいから、本当に今回、ラッキーだったって、思ってる」

文佳と高遠の間には、てのひらほどの距離。
手を伸ばせば、簡単に触れられる場所だ。

「俺の手が、フミさんを傷つけるばかりじゃない。そう、証明できた」

でも、高遠は手を伸ばさない。
きっと、彼は犬みたいに、ずっと待ってくれる。
文佳が、文佳から手を伸ばすまで、待ち続ける。

「本当、バカ」

「ひどいな」

高遠が顔をしかめた。
苦い顔は長続きせずに、また柔らく緩んだ。

「階段から落ちるのは絶対、俺の前だけにしてよ。他の奴の前じゃダメだからね」

「それこそもう絶対! あんなヘマしないわよ!」

いーっと、文佳は舌を出す。

―まだ、他人の手が、他人に傷つけられるのが、怖い。

だけど、あのとき、文佳を抱き留めた高遠の両手は、怖くはなかった。優しくて、温かかった。

それを、いまの文佳は知っている。

―だから。

手始めは、小さくて大きな、ほんの1cm。
文佳は、指先を伸ばす。

呑気にサンドイッチにかぶりつく高遠は、なにも気付かない。

鈍感な高遠に腹を立てながら、もう1cm。
そろそろと、文佳は指先を伸ばす。

高遠に、触れるために。
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