ひとまわり、それ以上の恋

 私は定時を迎えたあと、スーパーとドラックストアに立ち寄って適当に買い物をして、それから市ヶ谷さんの家に向かった。きっと何も食べていないはずだ。冷蔵庫だって空っぽだったし、高熱でも出ていたら……。

 あれだけここに来ることを拒んでいたのに勝手かもしれないけど……。美羽さんにも頼まれたんだし……。言い訳をいくつか並べて、鍵を差し込む。

 玄関を開けてそろりと靴を並べ、部屋の中に入ってみると、相変わらず誰かが暮らしているような感じはなく、あの広いベッドに彼は寝ていた。

 ベッドサイドのテーブルには、ノートパソコンと企画書が散乱していた。寝るまで仕事をしていたのだろうか。

 彼の几帳面な性格を表す書類をさっと眺める。ところどころ細やかにチェックされた赤い文字。デザインの修正や拘りのポイント、それからキャッチコピーまで。

 『Love at First Sight』という文字を目で追って、この間のことを思い出す。初恋、一目惚れ、あれは……私の母への想いだったのだとしたら。私は考えないように打ち消して、それから市ヶ谷さんの傍にそっと近づいた。

 額に手をあててみる。やっぱり熱があるみたいだ。ジェル状のひんやりシートを額に貼って、それから何か料理をと立ち上がろうとしたら、急にぐいっと手を引っ張られて驚いた。

 ペタンと座り込むと、彼の大きな掌が私の指先を握る。

「市ヶ谷、さ、……ん……?」

 市ヶ谷さんは目を開けることなく、彼の熱い手だけがしっかりと私を引き留める。

 まだここにいて欲しい、とでも言っているかのように。
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