ひとまわり、それ以上の恋
「君は、新卒者かな?」
「あ、ごめんなさい。そうです……」
「合格おめでとう。説明会はこっちだよ。よかったら案内するからおいで」
「ありがとうございます。緊張してて……申し訳ありませんでした」
「いや、僕の方こそ、しっかり前を向いているべきだった」
「そんな、私の方こそ」
堂々巡りになって、顔を見合わせる。
ふわ、と崩れた笑みが、あんまりに優しかったから、それ以上はもう言わなかった。
エレベーターの中に入り、四階に案内されると、一つの会議室が開かれて、私はそこに案内された。
新卒者がすでに何名か顔を揃えていて、人事部の人が恐縮したようにやってくる。
私はそこで初めて彼が、副社長であることを知った。
ネームプレートには、市ヶ谷透《いちがや とおる》……と書かれていた。
市ヶ谷透さん。プライマリーの副社長……なんだ。
肩書きを知って、急にまた緊張が漲り、全身に力が入る。
すると、
「もう大丈夫だよ、子猫ちゃん」
からかわれたのだろうか、彼の甘い声はやわらかくそう紡いで、そして大きな手で、風のようにそっと私の背を押した。
「ありがとうございました」
ふわりと見せた微笑みにつられて、私の口角もあがる。
彼の側からは春の匂いがした。
ほんのり甘酸っぱいような、桜の匂い。
私の胸はきゅっと痛く締めつけられて、まるで階段を必死に昇り切ったときみたいにドキドキ心臓がうるさくて、息が切れたようになっている。
きっと副社長だったら、私と接する機会なんて、そうそうないかもしれない。
けれど、また会いたい――。
こんな気持ちになるのは、初めてだった。