ひとまわり、それ以上の恋

 連休明け、私を最初に待っていたのはお給料明細だった。
初めてのお給料明細を手にして喜ぶどころか、個人手当……お金に変わってしまっていることが虚しい。ここはゼロだって構わないのに。

「テニスではゼロはラブって言うんですよ」と呟いてみる。

 でも、ラブ=LOVEの意味なんてそこには全然なくって、「卵」を意味する「l'oeuf (ルフ)」がイギリスへ伝わったとき、「ルフ」の発音が訛って「ラブ」と呼ばれるようになったらしい。

 ハートの形をした卵……。
 私の気持ちは……卵から羽化することはないのかな。

 秘書室から出てエレベーターに乗り、副社長室へ行く。顔を合わせるのは数日ぶりで緊張する。

 一呼吸してノックをする。ドアを開いてすぐ市ヶ谷さんはにこやかに笑顔を見せてくれて、まるで最初にここを訪れたときと変わらないみたいだった。

 大人として当然備わること、なのか、その程度としか見られていない、のかは分からない。私、この頃コンプレックスがますます卑屈になってないかな……こんなんじゃダメなのに。

「やあ、おはよう」

「おはようございます。今日はデザイナーさんとの打ち合わせですね。初めて……お会いするので緊張します」

「先方も楽しみにしてるから、よろしく」
「はい」

 仕事の相手としてなら、こうやって笑顔を見せてくれる。あのアクシデントは何事もなかったかのように忘れていくのだと思ったら、胸がチクリと痛んだ。
 
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