蒼穹の誘惑
今まで従順にしてきた。

幼いときから父から愛情というものを感じたことなどない。

会社を立ち上げたときも、浅野の性を名乗ったときも、燻った反抗心など微塵にも見せず、「自分を試させてください」とキッチリ頭を下げ、父の許しを得てきた。

自分に対して無関心だったからこそ、面と向かって反抗することもなかった。

怒りに震える息子を前にし、父はフッと不敵な笑みを零す。

「長谷川の娘の噂は聞いていたが、まさか既にその食指にかかっていたとはな。あの女に跨れ、肉欲に溺れたか?」

「下品なことを言わないでください……」

そうじゃない、そう否定したいのに、何も言えない。

「裕哉、お前の会社など私の考えひとつでは簡単につぶせるのだ」

「なっ……」

「よく考えることだな」

父は吸っていた葉巻を灰皿に押し付けると、そのまま立ち上がり部屋を出ていった。

ドアの傍には付き人らしき男が二人待ち構えており、「会長からです」と書類を浅野に手渡した。

事務職員しかいないオフィスは、いつも以上にシンと静まり返り、急な訪問者が付き人を連れて出ていくと、安堵の吐息が漏れた。



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