幼き神は涙さえ演じて
いっそ、助けて。とすがってくれればいい。
そうすれば彼を、幼い彼の体を抱いて眠るのに。
いっそ、罰を。と乞うてくれればいい。
そうなれば、罪深い彼を抱きしめてあげられるのに。
いっそ、許しを。と泣いてくれればいい。
そうすれば、共に泣き、彼を許すことが出来るのに。
だけど、茶神は、そのどれもを望んでいない。
許しも、救いも、何一つ望まず、願わず。
マリーの前で、神を慕うシスターの前で、自身の汚さを受け止め一人蹲る。
滑稽なのは、寧ろ私(マリー)だ。
汚らわしきは、私だ。
マリーは結局、悪を語る茶神を前に何も出来ないのだ。