月とバイオリン
 声は這うほどに低く、始めのその言葉しか聞き取ることができなかった。

発せられなかったのかもしれない。

彼の中で沈められてしまったのかもしれなかった。

生まれた言葉は、生まれた事実を宙ぶらりんにその場で殺されてしまう。

それが彼の選択なのだ。

今ではもう意識することもなく、当然として行われている道筋。

誰に伝えることもせずに、帰するべきは内なる世界のみとする。

「訊きたかったの。あなたがつかまえようとしていたのは、ほんとうは、誰なのか」


 そんな中で発せられていた、カノンだけが外へと向かう彼の『言葉』であった。

夜だけの冷涼な風にのり、街を駆けるカノン。

大勢の人間がそれを聴き、奏者に思いをめぐらせていたけれど、その『外』には彼の聴き手はいやしない。

受け止めるべき人間は、どこにもいないのだ。

受け止めてくれるその人は、ここにはいない。
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