としサバ
朝起きると、信彦は一番に洗面所に行き、顔を水でビシャビシャと洗った。

 鏡を見る。

 病人のように疲れた老人が映っている。


 「年を取るって哀れだな、オイ、元気を出せよ」


  信彦は鏡に映る自分に語り掛けた。


 冴えない自分が、元気なくこっくりと頷いた。


 台所では、妻の果穂が朝食の準備をしている。

 トントントン。トントントン。

 まな板の上で、野菜を包丁で切り刻んでいる。

 「いよいよ、来たわね。本当に長い間ご苦労様」
 「ああ・・・」

 「今日はお赤飯を炊いて、待っているから。早く帰って来てね」

 「なぜ、赤飯なんか」
 「定年祝いよ」

 「俺は少しもめでたくはない。むしろ、定年は俺にとっては、末期の癌みたいだ。死を宣告されたようなものだ」

 「可笑しな人ね。癌みたいだなんて、オーバーよ」
 「お前は楽天的な性格でいいな。俺の身になってみろ」

 「馬鹿な事を言ってないで、早く食事をしないと。定年の日に遅刻だなんて、お笑い者よ」
 
 「わかっているよ」


 信彦はご飯にお茶を掛けると、一気に口の中に放り込んだ。




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