強引な次期社長の熱烈プロポーズ
「いらっしゃいませ」

柳瀬が一人のお客様に声を掛けた。
百合香はその声の方に自然と目が行く。

「こんにちは」

そう挨拶したお客様は、週に1、2回来店する常連。
年齢は多分、柳瀬さんと同じ30歳くらい。彼女は速水《はやみ》と言って、よくここの店を利用している。
百合香は入社してすぐ万年筆のあるこのフロアに配属されて、かれこれ3年経つが、その時には既に速水は常連として有名だった。


「今日は?」
「ちょっと、この万年筆がインク漏れを起こすので見ていただきたくて」


差し出されたブルーの万年筆を柳瀬は受け取ると、キャップを開けて漏れている場所を確認する。


「目に見えないけれど、ヒビが入ってる可能性がありますね。」
「これ、結構気に入っているんです。直せます?」
「修理は、ご存知かと思いますが、当店ではなく各メーカーさんへ依頼してますので、そちらに問い合わせをしてみて、ですね」
「それで構いません。お願いしても?」
「かしこまりました」


こういう常連だと話が早くてとても助かる。
とはいっても下手すれば自分よりも知識のあるお客様だったりするから百合香にとっては大変なこともあるのだが。


「柳瀬さんは、どちらにお住まいで?」
「私はF区の方ですが」
「へぇ。通うのに大変ですね」
「いえ」


こういう会話が聞こえてくると、忙しければこんな会話気にならないのに。と百合香は思った。

というのも、この速水はいつも柳瀬が接客をする。
それは柳瀬がそうしているわけではなく、速水が柳瀬のことを気に入っているからだ。

今までここまで気にしたことがあっただろうか。

百合香はもやもやとしながら先程の企画から上がってきた原稿のチェックをしている。
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