佳き日に



「どうだった?」

「よかったよ。」

「冷たくて、静かだった?」

「ううん。海には入ってない。」

「どうして?」

初めて男の声に抑揚があった。
少し驚いたようだ。

「ずっと砂浜に座って海見てたから。綺麗だったよ、海。」

「見てるだけで満足だったの?」

「うん。」

海に潜ったら、多分、そのあまりの気持ち良さに家に帰りたくなくなるだろう、と思ったから入らなかったのだ。
ザザァ、と寄せてはかえすだけの波の音でさえもあんなに気持ちいいのに。
きっと海はそれ以上に気持ちいいのだろう。

「海の音って落ち着くからね。」

男はそう言い、初めてこちらを見て笑った。
ぎこちない笑みだったが、男の顔は元々整ってる方だったので絵になった。

ザァァッと店の外から雨の音が聞こえてきた。

「雨の音も、落ち着く。」

エナカは思いつくままにそう言っていた。

この男とのやりとりは会話として成立していると言っていいのか分からないものだったので、文脈など気にせず話せたのだろう。

「水の音って落ち着くよね。」

「海は好き?」

「うん。」

「雨は?」

「好きだよ。」


人魚姫の最後のページを捲りながら、この男は私と話していて楽しいのだろうか、とエナカは考えた。
そんなエナカの思いなど気にする様子もなく話しを続けていく。


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