佳き日に





「今度お礼したいので連絡先教えてもらえませんか?」


言葉以上の意味はない。

分かってはいたが、それでも期待してしまう自分に、どうしようもないなと笑った。

雪は首を横に振って琥珀に言う。


「明後日にも引っ越すんだ。気持ちだけもらっておく。」

む、と琥珀は唇を突き出す。
まだ何か言いたげな顔をしていたが、どうにも手だてがないと分かったのか、悔しそうな顔をして黙る。

伏せられたまつげが長いな、と思った。
少しガチャついた歯はあどけない。

最後になって、色々なことに気付く。
最後だからこそ、なのかもしれない。

雪はゆっくり息を吐いた。


「もう、帰ったほうがいい。」

雪の言葉に琥珀は黙って頷く。


「本当に、ありがとうございました。」


そう言って、琥珀は背中を向けて歩いていく。
取り残されたみたいだな、と雪は思った。

たくさんの可能性の先へ進んでいく人間と。
いつまでも裏の世界の人殺しから抜け出せないメモリーズ。

琥珀の背中が、大きく輝いて見える。

どんなに似ていても、違うのだ。
分かっている。
雪は無意識に手を伸ばしていた。


「では、また会う日まで。」


そう微笑んで、一つお辞儀をし、琥珀は外へ出て行った。
伸ばした手が空中で行き場を無くしたままだった。





< 601 / 627 >

この作品のキーワード

この作品をシェア

pagetop