結婚したいから!
朝、目が覚めると、ベッドの反対側に、祥くんがあちらを向いて眠っていた。
このところ、異常に祥くんの寝相がよくなった気がする。多少こっち側に転がってきてることくらいはあるけど、わたしの体に腕や足を乗せて寝ていることはない。
ちょっと寂しいような気がした自分が笑える。
それにしても祥くんのあの様子は、面白かったから。
きっとわたし、寝ながら泣くこともなくなったんだろうな。祥くんが寝ぼけながら涙を拭いてくれる必要もなくなったんだろうな。
玲音さんを見かけたあの日から、本当にわたしの涙は止まった。
泣くのは最後にするって自分で言ったけど、実際に最後になるとまでは思ってなかったから、少し驚いている。
祥くんがいなかったら、祥くんが玲音さんのお店に入らなかったら、まだわたしは泣いてたのかな。
また、祥くんに感謝することがひとつ、増えた。
…しかし、なに、この臭い。やっぱり気のせいじゃない。爽やかに目が覚めるはずの、休日の朝。いや、爽やかにしゃきっと目覚めなくても、とろとろまどろんでゆっくり朝を過ごすのもいいと思う。
けど…、こっちまで酔っ払いそうなこの臭いは、間違いなくアルコール。
容疑者の祥くんだけど、身じろぎ一つしないでぐっすり眠っている。部屋に満ちるこの臭い、一体どれだけ飲んだんだ!
リビングに入って、またびっくり。ダイニングテーブルの上に並べられたままの瓶、缶、紙パック…。
あれからまたたくさん会社の人を呼んだのかもしれないと思って、玄関を見たけれど、わたしと祥くんの靴を除けば、やっぱり残ったのは1足だった。
テーブルの上を片付けようとゴミ袋を取りに入ったキッチンにも、ごろごろ置かれた缶、缶、缶…。
二人でこれだけ飲めるんだろうか!!恐ろしくなってゴミ袋に分別しつつ入れて行くけれど、中身がちゃんと空になっているから、余計怖い。信じられない量だ。
たいてい週末には幸くんが来てふたりでお酒を飲んでるから、多少はびっくりしない。
でも、これは異常でしょ!何かあったのかな。仕事の打ち上げ??ふたりで??
冷蔵庫を見てみると、残り少なかった食材も、おつまみになって消えたらしく、とても朝食なんか作れそうになかった。やっぱり、スーパーに行かなくちゃならないみたい。
りんごジュースをコップに1杯飲むと、身支度をして、わたしは外に出た。
だいたい、仕事に出かける時間と同じくらいの時刻を、時計は指していたと思う。
でも、休みの日に、リラックスできる洋服を着て、ぺたんこのサンダルを履いて、小さなショルダーバッグにお財布だけ入れて出かけるときには、この暑さもあまり気にならないから不思議だ。
すでに焼けたような臭いを放つアスファルトも、あちこちから照り返してくる陽の光も、とっくに目覚めて全力で鳴く蝉たちの声も、楽しむような明るい気持ちで、スーパーへの道のりを歩いた。
毎度ワンパターンだけど、無難に、サンドイッチを作ることにした。玲音さんに作っていたことを思い出しても、胸に広がる甘い痛みは、ずいぶん軽くなった。
スーパーで、あれこれ食材を買ってから、会社に持って行くときにサンドイッチボックスがあるといいな、なんて思いついた。このスーパーは、2階のフロアで日用品も扱っている。
ないかもしれないけど、見るだけ見てみよう、と思って、近くにあった階段から上がることにした。
うわ、予想以上に古い。近くにあるから、階段を登り始めたものの、驚いている。
2階には、エスカレーターでしか上ったことがなかった。エスカレーターも年代物で、止まるんじゃないかってくらい、動きがぎこちなかったけど、階段も表面がはがれたり、滑り止めがなくなってたり、手すりがなかったりする。
そしてまた、狭い!人がなんとかすれ違えるくらいの幅しかなくて、非常階段かって思うくらいだ。
もう、長いスカートなんか履いてくるんじゃなかった。さっきまでご機嫌で、ふわふわゆれる裾を見ていたことなんか忘れて、わたしは慎重に階段を進んでいる…つもり、だった。
目で見て大丈夫だと、つま先を乗せて体重をかけた階段の端。滑り止めが、ぼろりと取れた。
「ひゃあああ!!」
見事なまでに、足が滑って、なぜか体が後ろに反っていることに気が付いたときにはもう遅くて。
重力に引っ張られて背中がぞわっと粟立った直後には、胃が浮くような感覚があり、もう、体が空中にあった。
ああ、落ちる!ぶつかる!
ああ、もう、わたしって、ほんとに鈍くさい。
もう諦めるしかない状況になると、変に頭の中は冷静で、「どすん」だか「ごつん」だか、鈍い音が聞こえたことも、ちゃんと認識できていた。それから、数秒しても、あまり痛みがないことも。
「びっくりした…」
体の下から男の人の声がして、慌てて飛び起きた。
わああ!誰かを下敷きにしたらしい、わたしは!!かなり、思いっきり、乗っかってたけど!いつぶつかったのかもよくわからないけど!!
「ご、ごめんなさーい!!わたし、鈍くさいから、あの、すみません、ほんとに!!」
恥ずかしいやら、恐ろしいやらで、頭を下げるしかない。
「ああ、あれ?…九条、さん?」
「わあ!結城さん!!」
まさかの場所で、まさかの人との再会だった。春に、お見合いした、結城晃一さんだった。
「ほんとに、ごめんなさい。こんなもので、いいんですか?」
「いいのいいの。喉渇いてたし」
わたしがぶちまけた買い物袋の中から、缶コーヒーを1本あげた。「これで許すよ」って彼が笑ったから、わたしも缶ジュースを1本出して、外のベンチで並んで座って飲んでいる。
「でも…、眼鏡…」
なんと、ぶつかったはずみで、結城さんの眼鏡にひびが入ってしまっていたから。申し訳ない…。
缶コーヒー1本で許されるはずないんだけど…。
「ははっ。どうせ伊達だし」
「ええ?伊達眼鏡?なんで?あ、す、すみません」
くすくすと笑われるけど、なんだか自分でもおかしくなってきて笑える。
派手に階段から落ちた上に、人の眼鏡割ってるし!しかも厚かましく人のプライバシーに立ち入ってるし!
「武装してるって感じかな。眼鏡してると、あんまり目の表情を見抜かれない気がする」
「へえ。そういうもんですかぁ。わたし、何でもすぐに顔に出るから、眼鏡かけた方がいいかも。
ああっ、そんなことより、武装するための眼鏡がないと、まずいですよね?」
「大丈夫。家に帰れば、同じのがいっぱいある」
ぶっと吹き出されたけど、同じ眼鏡が家にいっぱいあるだなんて想像したら、結城さんのイメージと違っていて、わたしも笑ってしまう。
「なんか、印象が…違う」
完全に声がハモってしまった。また顔を見合わせて笑う。
前に会った時と、ずいぶん違う。結城さんが、眼鏡をはずして武装解除してるから?仕事を離れた時間だから?わたしが、髪形や服装を変えたから?
わたしは、結城さんに、よくよくお礼を言って、祥くんのマンションに戻った。
帰り道は、さらに楽しい気持ちで、会心の出来のサンドイッチが作れそうだな、という予感がするくらいだった。
わたしがいないからか、ベッドの真ん中で寝ていた祥くんが、寝返りを打ち、眩しそうに薄く目を開いてこちらを見たのが分かった。
「あ、ごめん、起こした?ケータイ、置きっぱなしだったから探しに来たの」
自分が寝ていた枕のあたりをごそごそ探ってみるけど、ない。
「ちょっと来い」
「うん?」
手首を掴まれて、まだベッドで動けない様子の祥くんに、ほふく前進をして近付く。
「お前、男と会ってきた?」
「はあ?いつものスーパー行ってきただけ…ああ!会った、知り合いの男の人にも」
手首が痛い。
「なに、どうしてわかったの?もう、手が痛いよ、寝ぼけてるの?」
わたしの質問には全く答えないで、祥くんはもはや寝起きとは思えない鋭い視線を向けてくるだけだ。
「会っただけじゃないだろ」
「何言ってんの?」
「そいつに抱かれた?」
「…は?」
一体どうしたっていうんだろう、この会話。朝のさわやかな空気はどこへ行った?
「なんでわたしが結城さんに?まだお酒が抜けてないんじゃない?」
祥くんに鼻を近づけてみると、やっぱりまだまだ酒臭い!もう!どれだけ飲んだんだろう、幸くんと!
「真面目に答えろ」
「だ、抱かれてない!」
なんで朝っぱらからこんな恥ずかしい言葉を言わなきゃいけないのかよくわからない。
「結城って誰だ」
「前にお見合いしてうまくいかなかった人!」
「…なんで、こんなに香水の匂いがついた?」
「ええ!?そんなこと、わたしは全然気がつかなかったけど!!祥くんって犬!?」
祥くんが次第にイライラしていくのが、見ているだけでも伝わってきて、心臓がバクバクする。
「ふざけんな。ちゃんと思い出して答えろ」
凄味を増すその声に、震えあがる。
「ええっと、そう、わたし、階段から落ちたの!だけど、偶然居合わせた結城さんにキャッチしてもらったから、怪我しなかったんだよ。いや、キャッチって言うか、下敷きになってもらったって感じだな。
あそこのお店ね、階段もボロボロでね、滑り止めがあったりなかったりで、サンダルがすべっちゃったみたい」
そうだそうだ、思い出した。すっきりすっきり、一件落着。…って思ってるのはわたしだけみたいで。
ちっと舌打ちした後、祥くんが不機嫌そうな顔のままで、わたしの手首を引っ張った。
だから、自然に目を閉じて。
ほら、あれだ。
このところ、異常に祥くんの寝相がよくなった気がする。多少こっち側に転がってきてることくらいはあるけど、わたしの体に腕や足を乗せて寝ていることはない。
ちょっと寂しいような気がした自分が笑える。
それにしても祥くんのあの様子は、面白かったから。
きっとわたし、寝ながら泣くこともなくなったんだろうな。祥くんが寝ぼけながら涙を拭いてくれる必要もなくなったんだろうな。
玲音さんを見かけたあの日から、本当にわたしの涙は止まった。
泣くのは最後にするって自分で言ったけど、実際に最後になるとまでは思ってなかったから、少し驚いている。
祥くんがいなかったら、祥くんが玲音さんのお店に入らなかったら、まだわたしは泣いてたのかな。
また、祥くんに感謝することがひとつ、増えた。
…しかし、なに、この臭い。やっぱり気のせいじゃない。爽やかに目が覚めるはずの、休日の朝。いや、爽やかにしゃきっと目覚めなくても、とろとろまどろんでゆっくり朝を過ごすのもいいと思う。
けど…、こっちまで酔っ払いそうなこの臭いは、間違いなくアルコール。
容疑者の祥くんだけど、身じろぎ一つしないでぐっすり眠っている。部屋に満ちるこの臭い、一体どれだけ飲んだんだ!
リビングに入って、またびっくり。ダイニングテーブルの上に並べられたままの瓶、缶、紙パック…。
あれからまたたくさん会社の人を呼んだのかもしれないと思って、玄関を見たけれど、わたしと祥くんの靴を除けば、やっぱり残ったのは1足だった。
テーブルの上を片付けようとゴミ袋を取りに入ったキッチンにも、ごろごろ置かれた缶、缶、缶…。
二人でこれだけ飲めるんだろうか!!恐ろしくなってゴミ袋に分別しつつ入れて行くけれど、中身がちゃんと空になっているから、余計怖い。信じられない量だ。
たいてい週末には幸くんが来てふたりでお酒を飲んでるから、多少はびっくりしない。
でも、これは異常でしょ!何かあったのかな。仕事の打ち上げ??ふたりで??
冷蔵庫を見てみると、残り少なかった食材も、おつまみになって消えたらしく、とても朝食なんか作れそうになかった。やっぱり、スーパーに行かなくちゃならないみたい。
りんごジュースをコップに1杯飲むと、身支度をして、わたしは外に出た。
だいたい、仕事に出かける時間と同じくらいの時刻を、時計は指していたと思う。
でも、休みの日に、リラックスできる洋服を着て、ぺたんこのサンダルを履いて、小さなショルダーバッグにお財布だけ入れて出かけるときには、この暑さもあまり気にならないから不思議だ。
すでに焼けたような臭いを放つアスファルトも、あちこちから照り返してくる陽の光も、とっくに目覚めて全力で鳴く蝉たちの声も、楽しむような明るい気持ちで、スーパーへの道のりを歩いた。
毎度ワンパターンだけど、無難に、サンドイッチを作ることにした。玲音さんに作っていたことを思い出しても、胸に広がる甘い痛みは、ずいぶん軽くなった。
スーパーで、あれこれ食材を買ってから、会社に持って行くときにサンドイッチボックスがあるといいな、なんて思いついた。このスーパーは、2階のフロアで日用品も扱っている。
ないかもしれないけど、見るだけ見てみよう、と思って、近くにあった階段から上がることにした。
うわ、予想以上に古い。近くにあるから、階段を登り始めたものの、驚いている。
2階には、エスカレーターでしか上ったことがなかった。エスカレーターも年代物で、止まるんじゃないかってくらい、動きがぎこちなかったけど、階段も表面がはがれたり、滑り止めがなくなってたり、手すりがなかったりする。
そしてまた、狭い!人がなんとかすれ違えるくらいの幅しかなくて、非常階段かって思うくらいだ。
もう、長いスカートなんか履いてくるんじゃなかった。さっきまでご機嫌で、ふわふわゆれる裾を見ていたことなんか忘れて、わたしは慎重に階段を進んでいる…つもり、だった。
目で見て大丈夫だと、つま先を乗せて体重をかけた階段の端。滑り止めが、ぼろりと取れた。
「ひゃあああ!!」
見事なまでに、足が滑って、なぜか体が後ろに反っていることに気が付いたときにはもう遅くて。
重力に引っ張られて背中がぞわっと粟立った直後には、胃が浮くような感覚があり、もう、体が空中にあった。
ああ、落ちる!ぶつかる!
ああ、もう、わたしって、ほんとに鈍くさい。
もう諦めるしかない状況になると、変に頭の中は冷静で、「どすん」だか「ごつん」だか、鈍い音が聞こえたことも、ちゃんと認識できていた。それから、数秒しても、あまり痛みがないことも。
「びっくりした…」
体の下から男の人の声がして、慌てて飛び起きた。
わああ!誰かを下敷きにしたらしい、わたしは!!かなり、思いっきり、乗っかってたけど!いつぶつかったのかもよくわからないけど!!
「ご、ごめんなさーい!!わたし、鈍くさいから、あの、すみません、ほんとに!!」
恥ずかしいやら、恐ろしいやらで、頭を下げるしかない。
「ああ、あれ?…九条、さん?」
「わあ!結城さん!!」
まさかの場所で、まさかの人との再会だった。春に、お見合いした、結城晃一さんだった。
「ほんとに、ごめんなさい。こんなもので、いいんですか?」
「いいのいいの。喉渇いてたし」
わたしがぶちまけた買い物袋の中から、缶コーヒーを1本あげた。「これで許すよ」って彼が笑ったから、わたしも缶ジュースを1本出して、外のベンチで並んで座って飲んでいる。
「でも…、眼鏡…」
なんと、ぶつかったはずみで、結城さんの眼鏡にひびが入ってしまっていたから。申し訳ない…。
缶コーヒー1本で許されるはずないんだけど…。
「ははっ。どうせ伊達だし」
「ええ?伊達眼鏡?なんで?あ、す、すみません」
くすくすと笑われるけど、なんだか自分でもおかしくなってきて笑える。
派手に階段から落ちた上に、人の眼鏡割ってるし!しかも厚かましく人のプライバシーに立ち入ってるし!
「武装してるって感じかな。眼鏡してると、あんまり目の表情を見抜かれない気がする」
「へえ。そういうもんですかぁ。わたし、何でもすぐに顔に出るから、眼鏡かけた方がいいかも。
ああっ、そんなことより、武装するための眼鏡がないと、まずいですよね?」
「大丈夫。家に帰れば、同じのがいっぱいある」
ぶっと吹き出されたけど、同じ眼鏡が家にいっぱいあるだなんて想像したら、結城さんのイメージと違っていて、わたしも笑ってしまう。
「なんか、印象が…違う」
完全に声がハモってしまった。また顔を見合わせて笑う。
前に会った時と、ずいぶん違う。結城さんが、眼鏡をはずして武装解除してるから?仕事を離れた時間だから?わたしが、髪形や服装を変えたから?
わたしは、結城さんに、よくよくお礼を言って、祥くんのマンションに戻った。
帰り道は、さらに楽しい気持ちで、会心の出来のサンドイッチが作れそうだな、という予感がするくらいだった。
わたしがいないからか、ベッドの真ん中で寝ていた祥くんが、寝返りを打ち、眩しそうに薄く目を開いてこちらを見たのが分かった。
「あ、ごめん、起こした?ケータイ、置きっぱなしだったから探しに来たの」
自分が寝ていた枕のあたりをごそごそ探ってみるけど、ない。
「ちょっと来い」
「うん?」
手首を掴まれて、まだベッドで動けない様子の祥くんに、ほふく前進をして近付く。
「お前、男と会ってきた?」
「はあ?いつものスーパー行ってきただけ…ああ!会った、知り合いの男の人にも」
手首が痛い。
「なに、どうしてわかったの?もう、手が痛いよ、寝ぼけてるの?」
わたしの質問には全く答えないで、祥くんはもはや寝起きとは思えない鋭い視線を向けてくるだけだ。
「会っただけじゃないだろ」
「何言ってんの?」
「そいつに抱かれた?」
「…は?」
一体どうしたっていうんだろう、この会話。朝のさわやかな空気はどこへ行った?
「なんでわたしが結城さんに?まだお酒が抜けてないんじゃない?」
祥くんに鼻を近づけてみると、やっぱりまだまだ酒臭い!もう!どれだけ飲んだんだろう、幸くんと!
「真面目に答えろ」
「だ、抱かれてない!」
なんで朝っぱらからこんな恥ずかしい言葉を言わなきゃいけないのかよくわからない。
「結城って誰だ」
「前にお見合いしてうまくいかなかった人!」
「…なんで、こんなに香水の匂いがついた?」
「ええ!?そんなこと、わたしは全然気がつかなかったけど!!祥くんって犬!?」
祥くんが次第にイライラしていくのが、見ているだけでも伝わってきて、心臓がバクバクする。
「ふざけんな。ちゃんと思い出して答えろ」
凄味を増すその声に、震えあがる。
「ええっと、そう、わたし、階段から落ちたの!だけど、偶然居合わせた結城さんにキャッチしてもらったから、怪我しなかったんだよ。いや、キャッチって言うか、下敷きになってもらったって感じだな。
あそこのお店ね、階段もボロボロでね、滑り止めがあったりなかったりで、サンダルがすべっちゃったみたい」
そうだそうだ、思い出した。すっきりすっきり、一件落着。…って思ってるのはわたしだけみたいで。
ちっと舌打ちした後、祥くんが不機嫌そうな顔のままで、わたしの手首を引っ張った。
だから、自然に目を閉じて。
ほら、あれだ。