結婚したいから!

結婚したいから

「僕、沙彩の隣がよかったのに」


って賢悟さんがぼやくと、コーイチまで、「俺だってミクの隣がいい」って呟いてる。

「晃一くんが海空ちゃんを落としきれないからでしょ」

面と向かってそう言われて、コーイチが、むっとしてる。

「落としきれない」っていう、絶妙な表現を使ってくる賢悟さんって、やっぱり鋭くて、わたしはひとりで地味に赤面した。

確かに、全然落っこちてない、ってわけじゃない。


「喧嘩するなら、置いていくよ」

って沙彩が言い捨てると、慌てて賢吾さんが「してない!」って答えながら、沙彩の後を追っていく。

「だってさ、飛行機の席も離れてて、ホテルの部屋だって別々で、どこが新婚旅行なの?紗彩、僕は晃一くんと結婚するわけ?」
「うるさい。ごちゃごちゃ言うなら、今すぐ帰る」

「ううう…」

賢悟さんは完全に、紗彩の尻に敷かれてる。まだ、結婚してないのに。

何も言い返せなくなっても、まだ紗彩にくっついていく賢悟さんを見ていると、申し訳なくなってくる。


たぶん、わたしのせいだから。


紗彩は、わたしに気を遣って、飛行機の席もホテルの部屋割も決めてくれたに違いない。

だからって、何もかもわたしとコーイチがペアになる、っていうのもどうかと思う。

何も言えず、複雑な気持ちで、スーツケースを引っ張りながら、空港のロビーを歩く。
そう、とうとう、4人で旅行に出かける当日になってしまったのだ。


金曜日、仕事が終わってから、出発することになって、こうして空港に現地集合したのだ。そうすると、長く休みを取らなくても済むから、って言うことで。

結局、渋々、休みが取れるかどうかを、会社で理央さんに尋ねたら、いつでもいいよって言われて、逆にがっくりきた。まあ、わたしの仕事を理央さんが代わりにこなせないはずもないんだけど。

話を聞いて、香山くんが「どうせ結城さんと婚前旅行でしょ」って軽口叩いてきたけど、何も言い返せなかった。

コーイチも一緒なのは事実だし、わたしの気持ちを見抜かれているらしいし、コーイチに香山くんがわたしに気があるって言われたせいもあって。


はあ。


勝手に漏れたため息に気がついて、コーイチがちらっとわたしの方を振り返った。
傷ついたような目、に見える。

そうじゃないのに、うまく言葉にならなくて、どうにか首を横に振ってみせる。


「嫌がることはしないから、大丈夫」


……。そんなふうに言われてしまって、わたしは、ますます黙り込んでしまった。

そんなこと、わかってる。

コーイチが、わたしの嫌がることをしないってことくらい、十分過ぎるくらい、知ってる。嫌がることどころか、不自然なくらいわたしに触れなくなった。

ただ無心に友達づきあいをしてるつもりだったときには、頭を撫でられたことも、抱きしめられたこともある。


でも、今ではお互いに、自分の気持ちだけじゃなくて、相手の気持ちにも気がついているはず。

その上での遠慮って、何だろう。

わたしが、今更、コーイチのどんなところを嫌がるって、言うんだろう。


「え?なんで、怒ってるの?」


考え始めると、またなんだか、モヤモヤしてきて、ヤキモキしてきて、変な顔をしていたらしい。

コーイチが、きょとんとしてるのを見て、なんとか落ち着こうと思うのに、イライラする。


「鈍感」


思わず口をついて出たわたしの言葉にも、「はあ?」って首をかしげているコーイチ。

なんだか、わたしひとりだけ、あれこれ考えて動揺してるみたいで、恥ずかしくなってきた。
「紗彩ぁ」

情けない声を出して、ずいぶん前に進んでしまっている紗彩を追いかけた。「ミク、ちょっと待て、意味がわからん」って言ってるコーイチの声も聞こえないふりをして。


大丈夫だろうか、わたし。こんな状態で、4日間もコーイチを顔を合わせていられるだろうか。


自分でも自分のことが心配になる、旅行のはじまりだった。


「何盗み見してんの?好きなら好きって早く言いなさいよ。さっさと結婚しろ」

唐突に沙彩に言われて、びっくりした。飛行機の中、なんだけど!

「もうちょっと、オブラートに包んでものを言ってほしい!」

慌てて紗彩の口をふさぎながら、通路を挟んだ向こう側のコーイチを確認してみると、相変わらず眠ってたからほっとした。

コーイチの向こうで賢悟さんが、「ん?」って言って一瞬起きた気がするけど、この際賢悟さんはどうでもいい。コーイチに聞かれてなければいい。

今、絶対に、わたしの顔は、赤い。

盗み見って…、まあ、間違いじゃないから、紗彩に文句も言えない。


だって、コーイチの寝顔って、貴重だから。初めて見たから。

いつもは一緒にお酒を飲んだって、コーイチが酔って寝てしまうことはないし、逆にわたしが眠ってしまって、コーイチがいつの間にかいないってことばかりだ。肘掛けに頬杖ついて、静かに目を閉じてるその顔が、珍しくて。綺麗で、かわいくて。

この頃、面と向かってまじまじと顔を見つめる勇気もないから、チャンスとばかりに、コーイチの寝顔を見てたことは、確かだ。


「あたしとしゃべりながら、ずっと結城のこと気にしてるでしょ。そんなに意識してるくせに、いつまでもたもたしてんの?この期に及んで、何を迷ってんの?」

呆れ顔の紗彩の言うことを、知らん顔できるはずもなく、仕方なく口を開いた。

「だって、色々気になって、踏み出せないんだもん」

「もう!ことごとく、海空らしくないんだけど!じれったいなぁ。具体的には、何が気になるのよ?」

そう言われて、考えてみる。

「えっと…、あのお見合い相手の美人と結婚した方が、会社やコーイチのためになるんじゃないかって…」

わたしだって、ぼんやりしてるけど、そのことを忘れてたわけじゃない。
「それから?」

冷静に、紗彩が言葉を継ぐ。

「うん、っと…。コーイチのことじゃなくて、お父さんのことなんだけどね。わたしのお母さんが、会社の社長の息子と結婚したら苦労するし、仕事もやめなきゃいけないんじゃないかって言ってた」

「あとは?」

静かに問われて、もう思いつくことはなかった。

「あとは…、自分でもなんでかわからないけど、素直になれない」

そう漏らすと、紗彩が噴き出した。


「ま、そんなこと気にしてるようなら、まだまだなんじゃない?」

「え?」

「海空の結城に対する気持ちなんて、その程度だってこと」

「えっ!?」

その台詞を、わたし自身が言われるなんて、思ってもみなかった。
心の中だけだけど、ぐじぐじと、コーイチに向かって、似たようなことを思っていただけに、びっくりした。


「だ、だって、気になるよ」

「だから、それが変」

「なんで?紗彩も、賢悟さんが結婚してたときには、そのことを気にしてたでしょ?」


「それはちょっと違う。ただお見合いしただけの相手だったら、叩き潰したな、あたし」

た、叩き潰す…。

「相手が自分の意思で結婚してたから、自分の気持ちが消えるまで我慢しようっていう愛し方を、選ぶしかなかったんだよ」

紗彩の表情が、後半では明らかに切なそうになって、わたしは自分の発言を後悔した。

「そうだね。一緒にして、ごめん」
「それにしても、あんたたち親子して欲がなさすぎるね。変だよ」

紗彩が、思い出したようにそう言って笑うと、久しぶりに本音で真面目に女同士の会話をしてた緊張感が、緩んだ。

「ええ?普通じゃないの?」

「普通は、多少気苦労したって、お金の苦労はしたくないもんじゃない?働かずに済むなら、働きたくないんじゃない?」

「ほお。そういう生き方も、あるんだね。思いつかなかった」

心底感心してそう言うと、紗彩がいよいよおかしいという様子で笑いだして、わたしたちはいつも通りの気楽な会話に戻ることができたけれど。


わたしのコーイチに対する気持ちなんて、その程度だって、紗彩に言われた。


そのとき、「そのうち、そんなこと、どうでもいいくらい、好きになってくれればいいんだけどな」って、言ったコーイチの声が、耳に蘇ってきた。


もしかしたら、コーイチも、ずっとずっと、そんなふうにわたしを見てたんじゃないか。


ざっくりと紗彩に切られたせい、だけだろうか、胸がずきんずきんと痛むのは。
グアムに着いたのは、当然深夜で、ホテルの部屋に紗彩と一緒に入ったら、疲れて眠るだけだった。

コーイチに言われたことや、紗彩に言われたことで、またあれこれ考えるんじゃないかって思ってたけど、引きずり込まれるみたいに深い深い眠りに落ちた。

仕事の後だったし、飛行機での移動の間も、わたしにしてはあまり眠らなかったし、さすがに疲れていたんだろう。


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