結婚したいから!
よっぽど、疲れてたんだろうな。

コーイチは、部屋に戻ってから、少し水を飲んだだけで、ベッドに横になったと思ったらすぐに眠ってしまった。

その姿を見てようやく安心したわたしは、シャワーを浴びて、体がすっきりすると同時に、気持ちも落ち着いた状態になって部屋に戻ったから、気が付いた。


コーイチが、伊達眼鏡をかけたままで爆睡していることに。

おかしくて、くすくす笑ってしまう。

眼鏡をかけた状態でも眠れるなんて、普段もそんな夜があるんじゃないかって思えて。それに、眼鏡をかけたままのコーイチに気が付かないくらい慌てていた自分もおかしくて。

そっと眼鏡を外してみる。眼鏡にかかっていた髪がはらはらと額と目にこぼれ落ちていく。

あ、コーイチの、貴重な寝顔だぁ…。飛行機の中では離れた席だったから、ここまでじっくりとは見れなかったけど。


綺麗だなあ。天使が一休みしてるみたい。
…っていうか、眼鏡取ったり、こんなに至近距離で眺めたりしてるのに、全く身じろぎもしないコーイチって。意外と、1度寝たら朝まで起きない、ってタイプなのかも。

そう思ったら、むくむくといたずら心が芽生えてきて。

「今のうちにくっついちゃお」

大胆にも、勝手に、眠るコーイチの腕の中にお邪魔してみた。コーイチの腕を持ち上げて、わたしが自分の頭を押し込んでも、起きない。「ふふふふ」って、我ながらアブナイ笑い声が漏れているにもかかわらず、コーイチは目を覚ます気配もない。

コーイチの綺麗な目で見られていると、なぜかなかなか素直になれない。だけど、だからって、眠っているうちにこれはどうかって、自分でも思う。

「うわ。ドキドキしてきた」

わたしより体温の高いコーイチから、いつもの香水の香りと煙草の煙のにおいが、はっきり感じられて。すうすうと規則正しい寝息が、わたしの髪にかかって。

コーイチが熟睡してるにもかかわらず、わたしはひとりで胸を高鳴らせていた。
この人と、思いが通じ合って、恋人同士になれたなんて、夢じゃないだろうか。


そう思っていたら、自分でも全く自覚のないうちに、夢の世界に落ちていた。低体温で寝つきが悪い体質なんて、コーイチの腕の中では、わたしを構成している要素から消えてなくなったらしい。



「うわ…」

そんなに、大きな声じゃなかったのかもしれない。でも、わたしはその声で、夢の世界から戻ってきた。

でもまだ、部屋の中は暗い。外から差し込むわずかな明かりで、目に見えたものを認識する。

「うわあ!!」

状況に気がつくと、今度は、わたしが声を上げる番だった。マズい、わたしってば、あのまま寝てしまったらしい!

慌てて離れてはみたものの、ものすごく近い位置で、コーイチが呆然としたままでわたしを見ている。

朝まで起きないって体質ではなかったらしい…。

「もしかして、俺…?」

「ち、ちがうから!」

たぶん、自分が酔っ払ってわたしを無理矢理ベッドに引きずり込んだんじゃないかって、心配になったんだと思う。
コーイチは、一瞬ほっとした顔を見せて、ふとわたしの目を覗き込んだ。

「じゃあ、なんで?」

どきり。

なんで、こんな状況なんだって、訊きたいんだろう。コーイチは、ただ不思議そうな顔をしてるだけだ。

「コーイチが、悪いんだもん」

「えっ!?」

「かわいい寝顔、見せるんだもん」

「はあ?」

「もうちょっと、見てたくて、ね」

「うん」

「見てたら、くっつきたくなって、ね」

「うん」
「くっついてたら、ね」

「うん」


「大好きだって思って」


まだ半分脳みそが寝ていたらしく、相槌を打たれるままに気分よく話していたら、とんでもない結論が口から漏れていた。

ち、違う!耳からフィードバックされた情報に、脳みその大部分が覚醒。

慌てて自分の口を塞いだけど、当然遅かった。

あったかくて、寝ちゃった、とかいうはずだったのに!!はっきり大好きって言っちゃったよ!!

ヤバい、眠くて寝言言っちゃったって、言おう。なんとか誤魔化そう。


「俺も大好きだよ」


どうにかして、前言を訂正しようとしてた、その気持ちはかき消えた。
そして、吸い寄せられるみたいに、キスをした。

数秒、触れ合っただけなのに、彼を好きだって思う気持ちが、もっともっと溢れてくるのはどうしてだろう。

胸がその気持ちで膨らんでいっぱいになった気がして、わたしはコーイチの胸に顔を埋めた。

好きな人と一緒にいられるって、なんて幸せなことなんだろう、って思いながら。そして、その好きな人が、支離滅裂な状態の自分でも受け入れてくれるって、夢みたいだって、思いながら。


だから、コーイチがわたしの肩を掴んで、引き剥がした時にはびっくりしてしまった。


「ミク、嬉しいんだけど、離れて」

「や、だ!」

わたしが首を横に振って、今度はコーイチの首に腕を絡めてしがみつくと、コーイチはため息を吐いてその腕まで解こうとする。
わけがわからない!すごくすごく、コーイチの愛情を感じられたひと時だったし、まだその時間を味わいたかったのに、なんで!?

もしかして、…嫌われた?


「俺、飲みまくった意味がないんだけど」

「え?」

「いや、なんでもない。とにかく、これ以上はマズいことになるんだって!ちょっと離れて」

コーイチがなんだか慌てた様子だから、わたしもムキになってしがみつく。

「やだ!なんで?わたし、何か嫌われるようなことした?」

コーイチが再びわたしを引き剥がしたから、そう言いながら、コーイチの表情を必死に読み取ろうと、彼の顔を見つめてみる。わたしに、うんざりした色とか、呆れた様子とか、ないだろうか、って。
…あれ?赤くなってる?

コーイチは、ため息をついて、こう言った。


「ミクに何かしそうだからだよ」


「ええ!?」

「正直、今日は、同じ部屋にいるだけでも、危ないって思ってた。だから、度数の高いアルコールを流し込んで、ぐっすり寝てやろうと思ってたのに」

そ、そうなんだ…。

コーイチはお酒に強いし、軽度だとはいえ酔ってるところも今日まで見たことなかった。自分で意識して強いお酒を飲んだのかぁ。

「ご、ごめんね?疲れたのは、わたしのせいだったんだね」

コーイチの珍しい「疲れた」発言の理由はわかった、わかった、けど…。

「いいよ。俺、すぐにアルコールが抜けちゃう体質だし、そんなこと、どうでもいいや。それに、ミクがすっげー過保護になって、やたらと俺に優しかったし、満足」

う、確かに、過保護だったかもしれない、けど。

「でも、飛んで火に入る夏の虫、って言葉、知ってるよな、ミク。今は昼間の海の比じゃない状況だってこと、わかってる?俺、冗談じゃなくて、力づくで何かしそうで怖い」

コーイチが、わたしから距離を置きたがる理由も、わかった、わかった、けど。


「でも、いやだ」

「はあ?」

「そんなこと聞いたら、余計嫌になった」

「はあ!?」

「わたし、知ってるよ。コーイチがちょっと冷たい顔して、抵抗できないように上手に抱きしめて、キスできるってこと」

ああ、タブーなのに、去年の春に出会ったころのことを、持ち出してしまった。ほら、コーイチも、真っ赤になって黙り込んじゃったし。
「で、で、でも、今は、わたしの気持ちを、大事にして、我慢してくれてるって、ことでしょ?」

うわあああ、もう、わたしの顔も絶対赤い。

「うん」

自分で自分のことを大事にしてもらってるって言うのが、恥ずかしくてどうかと思うのに、コーイチがあっさり肯定するから、ますます頭の中が熱くなってオーバーヒートしてきた。

ああ、何を言おうとしてるのか、わからなくなってきた。ええっと、えっと。

「コーイチだって、知ってるでしょ。無理にだって、キスしちゃえば、わたしがうっとりしちゃうってこと」


…あれ?コーイチが、赤い顔のままで、目を丸くした。

だよね!わたし、何を口走ってるんだろう!!なんでもいいからさっさとキスでもしろって言ったみたいに聞えなかっただろうか!?

「……それって、」

「い、言わなくていい!言葉にしなくていいから!!とにかく、わたし、離れたくない」

慌ててコーイチの言葉を遮ったものの。心臓!心臓が、胸の中で無駄に激しい運動をしてる。


我ながら、勝手だと、思う。

夕食を食べに出る前には、つまらない嫉妬から、コーイチを拒絶したくせに。眠ってるコーイチに勝手にくっついて、離れたくないって言いだしたんだから。

「わかった」

だけど、そんな一貫性のない行動をとるわたしを、そのまま受け止めてくれるみたいに、コーイチはそう答えながら頷いただけだった。

「コーイチが、かわいい寝顔を見せたせいだからね?」

「え?結局、俺のせいかよ」

コーイチが、そう言って、ようやく頬を緩めた。
おそるおそる、コーイチの首に両腕を絡めると、今度は、彼の腕もそっとわたしの背中に回されて、ほっとした。

「ミクの飴と鞭って、かなり俺を翻弄するんだけど。絶妙なバランスだよな」

「ええ!?飴とか鞭とか使ってないよ。そんな器用じゃないし!」

「無意識か」

コーイチは、そう言いながら笑うと、わたしを抱く腕にぎゅっと力を込めた。

「まあ、なんでもいいや。ミクに触れていいなら」

そ、んなこと言われたら。


「き、す」


「ん?」

その腕の中で、コーイチの顔を見上げると、優しい顔で、訊き返してくれるから。


「キス。したくなった…」

正直に、白状してしまう。
コーイチは、すぐに、ちゅって音を立てて、キスしてくれた。意地悪とかしないで、すぐしてくれるんだなぁ。

「やっと?俺、いつでもしたいけど」

またちゅって音が、耳に届く。

「う、ん…」

わかったから、って言おうとしてるのに。言えないうちに、またまたちゅって、音が聞こえる。

「がんばって我慢したから、気持ちいいやつ、してもいい?」

わたしが返事をする前に、またまたまた、ちゅって音がする。

「うん…。して」


もうだめだ。わたし、もうすでにうっとりし始めている。わたしが言い終わると、コーイチの唇が、柔らかく触れて、わたしの唇を開くのがわかるけど、されるままに任せるしかない。

唇がとろとろしてきた。耳が熱い。頭の中も、寝起きとはまた違う感じで、ぼうっとしてきた。

「う…、んん…」

やっぱり、コーイチ中毒だ、わたし。


あれこれ考えていたことなんて、全部、溶解した。

朦朧としていく意識の中で、逆に研ぎ澄まされていく五感。
キスに夢中になっているのに、その間にも、わたしの背中を優しく撫でる、いつもより熱いコーイチの指先にぞくりとする。

夜と朝の境目の時間、静かな部屋にはエアコンの風の音がやけにうるさく感じられるはずなのに、かすかなコーイチのため息が、わたしの鼓膜をひどく震わせる。

香水と煙草の香りは、寝入る時より薄れているのに、甘ったるく鼻腔をくすぐる。

開けていられなくなって、閉じた瞼の裏、切ないみたいにわずかに眉根を寄せた、コーイチのその表情が、前髪の間から覗く目が、焼きついて離れない。


カーテンの外が、次第に明るんできても。

どこか神聖な気持ちで、コーイチと抱き合っていた。

わたしが彼を待たせていたはずなのに、やっと気持ちが通じ合った、という気持ちになるのはどうしてだろう。
まるで、生まれたときから探していた、自分に足りなかった一部を見つけたみたいだ。

だって、こんなにしっくりくる。わたしの、心か体のどちらかをおきざりにすることもなく、全部が、コーイチといると、彼のでこぼこにぴったり納まるような、イメージが浮かんでくる。




はあ。

自分のため息で、意識が目覚めた。その直後、頬に温かい手の感触を覚えて、重い瞼を押し上げる。

コーイチが、わたしの顔を覗き込んでいる。その後方では、すでに強い日差しがカーテンの向こうで踊っているのが見えて、わたしは慌ててベッドのシーツの間に潜って隠れた。

「なに?今更、恥ずかしいの?」

くすくす笑いながら、コーイチも潜ってくるから、「うん」と答えた。

だって、あんな、あんな…ことの、後だし。服着てないし。すっぴんだし。すでに昼間だし。

「い、いつから、起きてたの?」

「1時間くらい前かな」

「ええっ!?ずっと、私が起きるの待ってたの?」

「うん。ずっと海空の寝顔を見てたよ」

「う、うっわぁ…」

聞くんじゃなかった。今更隠れたって遅いって、そう言うことも含めての意味だったのか!


「ほんとかわいいな、お前」

「へ?」

コーイチの言う「かわいい」の意味が、いまいち理解できない。彼氏(あ、いい響き)の前で、その視線に一切気がつかないまま1時間も爆睡してる彼女って、かわいいだろうか。

そんなことを考えている間に、コーイチがごそごそとシーツの間を近付いてきて、ためらいもなくちゅっとキスしてくれた。

だから、わたしは、夜更けの出来事が、間違いなく現実のことだって再認識して、さらに顔が熱くなる。



「幸せそうな顔して寝てたから」


ど、どれだけ恥ずかしい思いをすれば気が済むんだろう、わたしは!!自分のバカ正直な顔が、寝ている間でも健在だとわかってしまって、軽く落ち込んだ。


「コーイチのせいだもん」

小さな声で言い返すけど、コーイチは、「そっか」って、嬉しそうに笑うだけだ。

だって、コーイチは、わたしのことを、すごくすごく、大切に扱ってくれた。幸せそうなまぬけ面で眠ってたとしたら、それはコーイチのせいで間違いない。

いっぱいキスしてくれた。たくさん抱きしめてくれた。数え切れないくらい、名前を呼んで、何回でも好きだって言ってくれた。

こんなに満たされた気持ちで抱かれたのは初めてで。今までのひりひりした焦るみたいな気持ちで、同じような行為をしていたのが、不思議に思えるくらい。

「…変なこと、きいてもいい?」

「いいよ」

「…どうやって、ホック外したっけ?」

「いっぱいキスして、いっぱい気持ちよくして、ミクの意識が朦朧としてき」

「いやあああ、わかった!!もうわかりましたから!!」

慌ててコーイチの口を両手で抑えた。それ以上の説明はいらないから!

初めてブラのホック外されたときにはあんなに過敏に反応したくせに、2回目は記憶にないから変だと思った。

ちょっと、ほんとに変なこと聞いたよ、わたし!ただ、疑問に思って尋ねただけだけど。結局、自分の羞恥心を煽っただけだった。

再び火照る顔をはっきりと意識しながら、後悔していたその時。


「あ、…な、…に…?」

コーイチの口を塞いでいたわたしの手を掴んだと思ったら、コーイチが啄むみたいにキスしてくるから、上手くしゃべれなくなった。

「んっ…」

深くなる口づけに、上手く息もつけなくなった。


「今度はそんなこと訊いたミクのせい、だからな」

潤んだように見えるコーイチの目に、色んなことがもうどうでもよくなって、わたしはうんと頷いた。


いつホックを外そうが、何がわたしのせいだろうが、なんでもいい。


コーイチと一緒にいられるなら。


< 57 / 73 >

この作品をシェア

pagetop