結婚したいから!
そして、悪いことは、重なるものだ。
「ミク、ちゃんと戸締りした?」
連休明けの初日、まだ仕事中のコーイチから、奇妙な電話がかかってきて、わたしは思わず眉根を寄せていた。
「…したと思うけど」
「思う、じゃあマズい。ミク、もうすぐ寝るだろ?」
「うん」
ちらりと時計を確認すると、もう11時半過ぎていた。
「今すぐ、窓と玄関の鍵を確認して」
はっきりと、変だな、と思った。
「もうちょっとしたら、コーイチも帰ってくるのに?」
「うん。その間も、心配だから」
「変なの」
なんだか切実な声を出すコーイチに根負けして、眠気ですでに重くなっていた体を起こして、窓を確認する。
「あ、窓開いてた」
「あ!?ちゃんと鍵閉めて」
残念なことに、コーイチの心配通り、わたしはきちんと戸締りもしないで寝るところだったらしい。
「ん、今閉めたよ。玄関は、鍵がかかってたよ」
「わかった。すぐ帰るから」
「…気をつけてね」
結局、昨日は、あのまま勝手に一人で落ち込んでしまって。コーイチもときどきため息をついていたっけ。
まだ、自分の心の中で、自分の気持ちを整理し切れていない。
なのに、こうしてコーイチに「帰る」って言われて、「気をつけてね」って答えて彼を待つことのできる立場にいるのだと思うと、自然に胸がうっとりと痺れてきたりもする。
いつでも眠れる状態で、ベッドに横になって、コーイチのことを、紗彩に言われたことを、深雪さんのことを、考える。
やっぱり、一番理想に近いのは、もっとわたしがどっしりと構えて、コーイチの仕事を応援してあげられることだとは、思う。そういうふりをしようと、頑張っても、いる。
だけど、もっとコーイチと話したり、出かけたり、ご飯を食べたり、些細なことでいいから、いろんな時間を、場面を、共有したいって言う本音の方が強すぎる。
だから、「いい彼女のふり」をした仮面はすぐにぽろっとはがれてしまう。
…それだけ、コーイチには甘えているし、コーイチのことが好きだってことなんだろうけど。
自分でそう結論を導き出してしまって、ひとりで顔を赤くしながら、ベッドの布団に顔まで潜り込ませた時だった。
カタン、とかすかな音が、玄関から聞こえた。
それは、コーイチが玄関の鍵を開ける音でも、扉を開けた音でもないはずだ。そうだ、郵便受け。その口が閉じたときの金属音だ。
こんな時間に、何だろう?まさか、郵便物じゃないはずだけど。リビングの壁からそっと玄関を覗いた。
簡素な作りのわたしの安アパートは、薄い玄関ドアにそのまま郵便物投入口がくっついている。そこから郵便物を入れると、玄関の靴脱ぎ場に落ちてしまうのだけれど、特に不便だと強く感じることもなかったけれど。
暗闇の中で、思わずひっと息を吸い込んだ。声を上げないように、口を塞ぐのが精いっぱい。
その郵便受けの口が開いたその隙間から、誰かがこちらを覗き見ていた。
リビングから、片目だけ覗いたその姿勢のままで、どのくらいの間硬直していたことだろう。
「…ク、ミク、しっかりしろ」
気がついたら、帰って来たばかりらしいスーツ姿の、コーイチに肩を揺すぶられていた。
リビングの端の、同じ場所に、へたり込んでいたらしい。とっくに、誰かの目は消えていたのに、動けなかったらしい。
「大丈夫か?あれから何があった?」
「あ……」
あそこに、人がいて、と言葉を続けようとするのに、歯ががちがちと音を立てるだけで、どうにもならない。
玄関の郵便受けを指す指先だって、震えていて何を指しているんだかわからない。
「ミク、大丈夫だ。俺がいるから」
真剣な目で、コーイチがそう言ってくれたのに。
「い、いない、でしょ」
「え?」
「コーイチは、いない、で、しょ。わ、わたしは、いつも、ひとり、だ、から」
かたかた震えているくせに、どうしてコーイチに意地悪を言ってしまうんだろう。
コーイチが触れている肩から、彼の手の体温を感じるだけで、恐怖が薄れてくることは実感できるのに。
「悪かった」
コーイチが悪いわけじゃないのに、こうして謝らせてしまう。
「もうひとりにしないから」
ひとりにしないって、どうする気、そんなに忙しいくせに。内心そう思ったけれど、今度はただ黙って、頭から離れない、隙間からのぞくあの目の記憶に必死に耐えていた。
……ひとりにしないって、言ったけどさ、確かに。
一晩経って、眠ったはずなのに、繰り返し人の目玉が出てくる夢を見たせいか、寝起きの頭痛は殺人級にひどいものだった。
鎮痛剤を飲もうと、のろのろと起き上がって台所に行ったら、「仕事が終わったら、俺の会社に来て」というコーイチの書置きを見て、一層頭痛がひどくなった気がした。
休日に一度行ったときでもあんなに嫌味を言われたのに、平日で、まだコーイチの仕事が忙しい時間に行ったら、あの秘書にどんな顔をされるかと思うと、それだけで気が滅入った。
ため息をついて、薬を水で体の中に流し込んだ。
―――でも、怖い。
無意識のうちに、ずっと郵便受けを見ている自分に気がつく。怖かった、あれは。
誰だろう。いや、誰であったとしても、深夜にあんなところから覗く人なんて、まともじゃない。知り合いで用事があるなら、事前に連絡したり、声をかけたりするはずだ。
ただ黙って、中の様子をうかがっていた、あの目を。思い出したら、また背筋に悪寒が走った。
それから慌てて支度をしたせいで、いつもよりずいぶん早く会社に着いた。
「何その青白い顔。いよいよ結城さんに振られそうなんだ?」なんて、同期のような後輩のような、憎たらしいふわふわ頭に暴言を吐かれても、言い返す元気もなかった。
あの目は、わたしの元気だとか、気力だとか、とにかく活動に必要なエネルギーを奪って行ってしまったらしい。
また、こんな日に限って、スムーズにお客さんとの話は進み、定時で事後処理も片付いてしまうのだ。
…帰りたくない、あのアパートの部屋には。いや、玄関の郵便受けさえ見ずに済むなら、帰りたいんだけど。
絶対に、コーイチの会社に避難なんて、したくない。…じゃあ、やっぱり、あのアパートに戻るべきか。
そう悩みながら、ドリンクコーナーで、紅茶を飲んでいた時だった。
「もしもし?」
わたしの心情を読んだかのように、コーイチから電話がかかってきたからどきりとした。
「ミク、仕事終わった?」
その声を耳で捉えるだけで、少し気持ちが落ち着くのがわかる。
「うん」
「秘書が迎えに行くから、一緒にこっちに来て」
せっかく落ち着いた気持ちが、また乱された。
「ええっ!?嫌だ!!」
「もう海空をいじめないように言っておいたから。ちなみに名前は柴田。ちゃんとついて来いよ」
「いや、無理無理無理。秘書も会社も無理。わたしそれなら、どこか別の」
そうやってまだ言い募っていたのに、途中で電話を切られた。ひどい。まだ言い終わってないのに。
ぷっと頬を膨らませながら、早いうちにとんずらしちゃおうと考えながら歩いていたら、エレベーターから降りて来る人とぶつかりそうになった。
「ごめんなさい!」
慌てて頭を下げると、低い声が帰ってきた。
「お迎えにあがりました。九条さん」
はっとして顔を上げると、コーイチの秘書、柴田さんが無表情でわたしを見下ろしていた。
うわ、会社の中まで入ってきたよ!逃げるかもしれないって読まれてたかも。いや、柴田さんじゃなくて、コーイチに。
わたしが沈黙して、なんとかこの人と、あの大きな社屋に入らない方法がないかと考え込んでいると、柴田さんはこう言ったのだ。
「私も忙しい身ですから、できるだけ早く選択して下さい。私と一緒に社長のところへ向かうか、どこかでひとりのときにストーカーに刺されるか」
す、すとーかー!?刺される!?
自分に縁がないと思っていたフレーズが出てきたから、わたしが目を丸くして柴田さんを見つめ返すと、彼はごく冷たい笑みをかすかに浮かべてこう続けた。
「ストーカーと言っても、あなたをつけているわけではありません。あれは、社長をつけているストーカーです。詳しい話は車で」
猛スピードで、わたしが荷物を取って、柴田さんの後に続いたことは、言うまでもない。
柴田さんが運転する車の後部座席に座らせてもらいながら、聞かされた話は驚きだった。
コーイチには、秘書がふたりいるらしい。
一人は、コーイチの仕事全般を把握して、社外にもともに出かけて補助する立場にいる柴田さん。
そして、もう一人が、手紙やメールを仕分けしたり、スケジュールの調整をしたりと、主に社内での事務を補助する立場の秘書。
少し前まで、そのポジションにいた、佐竹さんと言う女の人。
彼女が、コーイチに好意を寄せていたらしい。コーイチが、あまりに仕事一筋だから、社内では同性愛者説もあったらしく(!)、それが消えるまで、すなわち、彼女(それはわたしのこと!)ができたという噂を聞くまでは、特に目立ったアピールもしなかったらしい。
が、近頃ちょっとずつ行動がエスカレートしていったため、人事異動で本社ではなく営業所への配属にしたところ、仕事をやめてしまった。
それまで秘書という立場にいたこともあって、コーイチの仕事のサイクルや行動範囲なんかを熟知しているから、それ以降も「偶然」、会うことが続いた。
そして、昨日の夜、会社の前で彼女に捕まったコーイチは、こう言われたそうだ。
「海空さんって、かわいらしい印象の方ですね」
と。
つまり、わたしの名前を知っていて、どこからか様子を覗き見ていた、ということなのだ。
だから、昨夜、コーイチは、慌てて戸締りの確認をする電話をかけて来たらしい。
すると、案の定、彼女がわたしのアパートの様子を見に来た、というのがあの目の真相らしい。
…ん?何?
結局、コーイチが意外にモテるって話になるのか?
佐竹さんといい、深雪さんといい、コーイチ本人の自覚が薄いけれど、彼に好意を持っている女性が複数いるってことだよね?
なんかちょっとムカムカしてきた。
柴田さんに渡されたICカードを持って、コーイチ専用の入り口とエレベーターを使わせてもらって、最上階までたどり着く間も、対面したことのない佐竹さんが、ここで長い時間をコーイチと共有していたのかと思うとイライラしていた。
「ミク!よかった、無事で。…あれ?なんか怒ってる?」
「…怒って、ない」
わたしの顔を見て、一瞬でぱあっと顔を輝かせたコーイチを見ると、まさか「ムカつく」とも言えなくなって、わたしはそう呟いた。
「ごめん、怖かったか?」
そう心配そうな顔をしてから、そっと抱き寄せてくれたら。
尖っていた心はすっかりまあるく治まってしまった。
「うん」
移動中はずっと柴田さんが一緒だった上に、佐竹さんの話を聞かされていたから、恐怖心なんか感じてる暇はなかったのに、そう答えておいた。
昨日は本気で怖かったし、堪能できなかった、コーイチの腕の中を楽しむために。残念ながら、ほとんど憶えていない。
わあ、あったかいし、気持ちいいし、いい匂いがする。
ヘンタイじゃない、はずだ。そう自分に言い聞かせる。だって、わたしが不用意な発言をしてぎくしゃくし始めて以来、こうして抱き締めてもらってないんだから。
だから、コーイチ不足がひどい。つまり、うっとりしたって仕方がないのだ。
「私は仕事に戻ってもよろしいでしょうか。とても見ていられないので」
柴田さんが、冷え切った上にはっきりとした声で、そう言うから、慌ててわたしたちは離れた。
「あ、わ、わたしなら、廊下で本でも読んでますから」
他に誰も来ないなら、広々とした廊下は、居心地が悪くもなさそうだ。
「いや、中に専用の仮眠室があるから、そっちで待ってて」
コーイチがそう言うから、柴田さんの顔色をうかがいつつ、頷いて、社長室に入らせてもらった。
社長室の隣に作られた仮眠室は、わたしのアパートの部屋よりもよほど広くて快適だった。ミニキッチンの他に、トイレやバスルームまで備えつけられている。
こんなにいい環境なのに、よくまあわたしの安アパートに戻ってきてくれたことだと思う。
なんとなく、キッチンの冷蔵庫を覗いたら、いろいろなものが入っていたので、夕飯を作ることにした。
わかっている、自分の料理の腕がお粗末なことは。
でも、それ以上にひどい腕前のコーイチ。そして、まだ仕事が残っているコーイチ。
それなら、わたしが作るしかない。よし。がんばるぞ。…と、気合を入れないと、料理ができない自分が残念ではあるけれど。
なんとか野菜を刻んで、鍋で煮ていると、コーイチが社長室に続くドアから入ってくる。
「わ、何作ってるの?」
「ええっと、リゾット、みたいなもの、の、はず」
コーイチが仕事の途中で様子を見に来るとは思ってなかったから、しどろもどろになってそう答える。
「なに動揺してんの」
くすりと笑うその顔も、久しぶりにゆったりした気持ちで眺めた。
「だって、料理してるところ見られるの、恥ずかしいから」
わたしは仕方なく正直に答える。ときどきは料理に挑戦するようになったものの、まだまだ失敗が多い。
「恥ずかしくないよ。一生懸命で、すげーかわいい。俺も食べたい、ミクの手料理」
さらっとそう言って、コーイチがにこっと笑うから、一瞬言葉に詰まってしまった。
「あ、照れてるな、ミク」
照れ、照れてない!と言い返しそうになって、いや、照れてるな、と思い直した。
「コーイチのせいだよ、何もかも」
「ははっ。何もかもってなんだよ?」
「照れてるのも、慣れない料理をするのも」
一息にそう言うと、コーイチが真顔になってわたしを見つめ返してくるから、うつむきそうになるのをなんとか耐えている。
「俺のために、作ってくれるの?」
ぽつりと、そう訊き返してくるコーイチに、意を決して返事をする。
「う、うん。……ひゃあ!」
コーイチがぎゅうっとわたしを抱き締めたから、口から変な声が漏れた。
「すげー嬉しい。楽しみにして、仕事がんばるから!」
子どもみたいに浮かれた声でそう言うと、コーイチはきらきらの笑顔を見せて、社長室に戻って行った。
……どうしよう、あの人。すっごくかわいいんだけど。子どもみたいな笑顔だったんだけど。
鍋の中身を、気もそぞろにかき回している、わたしの頭の中は、当然コーイチのことでいっぱいだった。
こんなことで、あんなに喜んでくれるなんて。
わたしが料理が上手くはないって知ってるはずなのに。
…よぉし、もっと料理ができるようになるぞ。
単純なわたしは、そう堅く決意して、とりあえずは、目の前の作りかけのリゾットを、美味しく作ることからがんばることにした。
ごはんができたよ、と声をかけるべきかどうか迷いながら、社長室へ続くドアをそうっと開けたら、ちょうど柴田さんが帰り支度を終えて、鞄を持ったところだった。
「おつかれ」
コーイチが、こほんと咳ばらいをしながらそう言うと、彼を一瞥して、柴田さんはこう言い残して帰って行った。
「社長、にやけ顔がみっともないですよ。今日は、これで、仕事も終わりにしてください。役に立ちそうもありませんから」
ちょ、ちょっとあの人!コーイチにもひどい言い草なんだけど!!
わたしが唖然としてコーイチの方を見やると、彼が顔を赤くしていたから、わたしはさらに唖然としてしまった。
あれ、本当に役に立ちそうもないのかな?言い返す気、ないのかな?
「大丈夫なの?仕事、これで終わっても」
柴田さんが姿を消してしばらく経ってから、そう声をかけたとき、時刻はまだ6時だった。コーイチが仕事から解放されるような時間じゃないはずだ。
コーイチは、そこで初めてわたしがドアから覗いていることに気がついたようで、ようやくこちらを見た。
「いい。俺、お前が気になって仕方ないし」
「ご、ごめん。本当に来ちゃって、迷惑かけたよね」
「違う。連休前にも言っただろ?もう仕事はずいぶん落ち着いてるんだ。ただ、連休中に完成したマンションの内装の、あちこちに不備があって、このところはその後始末で忙しかっただけだから」
きっと、それが、コーイチの家から帰った日に、柴田さんからかかってきた電話の理由だったんだろう。突発的な仕事だったんだろう。
「ほんと、隣の部屋に、ミクがいると思ったら、仕事してられない」
「ごめん、うるさかった?」
ただでさえ料理が苦手なくせに、慣れないキッチンだから、色んなものを落としたりして、ばたばた音を立てたかもしれない。
「バカだな、ミク。早く一緒にいたいからだろ。俺、嬉しい。海空とこんなに早い時間に会えて」
にこにこしてわたしを見るその顔を見たら。
胸がきゅーんと鳴って、「わたしだって嬉しい」と無意識のうちに呟いていた。いつの間にか、彼の手を両手で取って、仮眠室に引っ張っているわたし。
「ごはん、食べよう、一緒に」
きっと、今では、わたしまで、にこにこしているはずだ。
コーイチは、おいしいって、言ってくれた。
リゾットしかなかったけど、文句ひとつ言わないで、おかわりして食べてくれて、危うく泣きそうになった。
今度こそ本気で、料理下手を克服したいと思った。
ふたりともお腹が満足して、コーイチが車に乗るように促したから、てっきりアパートに戻るのかと思っていた。でも、その車の中で、コーイチが「しばらく会社で寝泊まりしよう」というからびっくりした。
「そりゃあ、あそこの方が、家よりも広いし快適だけど、だめだよ」
わたしが困惑してそう言うと、コーイチは真面目な顔で、こう言った。
「ミクが心配だから」
そう言われて、ようやく、昨日の恐怖を思い出した。コーイチとの時間を持てたことで、すっかり浮かれていたけど、あの家は、「佐竹さん」に知られてしまっているのだ。
わたしが黙り込むと、コーイチは、左手をそっと、わたしが握りしめている膝の上の手に重ねてくれる。
「ずっと俺と一緒にいて」
そう言われたら、うんと答えるしかない。だって、いつもいつも、コーイチと一緒にいたくてたまらないんだから。
…ん?なんか、今のコーイチの台詞、プロポーズみたいじゃない?
自分の妄想に胸をときめかせつつ、アパートで、当面必要だと思われるものを荷造りしている間も、無意識のうちに郵便受けの口をちらちら見ていたらしく、コーイチが「大丈夫」と言ってくれる。
自分で思っていた以上に、あの目が怖いらしい。
やっぱり、コーイチの言う通り、しばらくはここにいない方がいい、と自分でも納得した。
「秘書は男だって言ってたのに、女の人もいたんだ」
なんとなく、黙ったまま、作業をするのもどうかと思いながら、話題を探したのに、出て来たのはそんなことだった。
「今、それを言うのかよ」
コーイチが、純粋にびっくりした、って顔をしてるから、思わず笑いそうになったのをなんとかこらえて、悲しい顔を作ってみた。
「だって、コーイチが嘘ついたから」
「う、嘘じゃねーし!人聞きが悪いな。チョコくれたのは、本当に、柴田だよ。ちゃんと男だっただろ?」
予想通りに素直に慌てるコーイチがかわいいけど、そんな内心は隠しつつ、目を伏せてみる。
「まるで、男の秘書しかいないみたいな言い方したよ」
「ええ!?そんなはずないけど。…ん、ヤキモチか?」
「は?」
あれ?
「妬いてるんだな、ミクは」
コーイチをいじめていたつもりだけど、いつの間にか形勢逆転?コーイチがしたり顔でわたしの方を見ている。
「今頃気づいたの?」
だから、表情一つ変えないように気をつけて、そう言ってみた。
「…マジか」
かすかに頬を染めるコーイチの、素直な反応がおかしい。
確かに、佐竹さんの話を聞いてから、むかむかしてたんだから、わたしは。あれって、確かにヤキモチだ。
こんなふうに、ふたりで過ごす時間ができたら、わたしがぐちゃぐちゃ考えていたことが、さらさらと少しずつ溶けて行くみたいだ。
一緒にご飯を食べて、出かけて、お互いの表情を見ながら言葉を交わす。
わたしが望んでいたのは、こうしてコーイチと過ごす時間を得ることだったのだから。
あちこちで、足りないものを買い足しながら、コーイチの会社に戻る車中で、コーイチが場にそぐわない嬉しそうな声でこう言った。
「なんか、新居に引っ越すみたいだな」
へ?新居…?
「早くミクと結婚したい。今度、ご両親に会わせて」
「ええ!?わ、わたしの!?」
久しぶりに結婚って言われた気がして、びっくりする。え、さっきの妄想の続きじゃないよね?すっかり動揺してしまって、思わず訊き返していた。
「お前以外の、誰の親に会うんだよ?」
くすっと笑うコーイチに、胸がどき、と鳴る。いまだに。
「そ、そっか。ん、でも、なんか、心配だなぁ。うちのお母さん、まともに、大人らしい受け答えができるかな」
「はは。俺は、お母さんに会うのが楽しみだな。…けど、お父さんがちょっと怖い」
「え?なんで?」
「話聞いてるだけでも、過保護な感じがする。簡単には嫁にくれなさそうだ」
「え!?そうかな?」
コーイチから見ると、父の印象がいくぶん違うのだとわかって、それも新鮮だった。
そんな話をしていると、グアムで心が通じたとき以来の、「わたし、コーイチと結婚するんだ」という気持ちがひっそりと生まれて来た。
やっぱり、この人と離れて生きて行くなんて、もうできない。それなら、この絡まったままの糸を、きちんと解く必要がある。