閑中八策
アニメ版の「黄昏乙女×アムネジア」では夕子さんが死んだのは1952年という事になる。
この年の4月にGHQによる占領が正式に終わり日本は独立を回復した。
戦後民主主義日本の出発点として明るい希望に満ち溢れた時代と語られる事が多いが、現実には社会のあちこちに戦前から続く身分差別的価値観、因習、迷信が色濃く残っていた。

夕子さんは村に流行った疫病を鎮めるための人柱、つまり生贄として地下に生き埋めにされ、幽霊になった後もその怨念を記憶から切り離して忘却し、そのまま60年間、地縛霊として学校内をさまよってきた。

1950年から始まった朝鮮戦争で米軍からの軍需物資の注文が急増、いわゆる「朝鮮戦争特需」が起こり日本経済は急激な復活を始めた。
だから1952年には工業地帯である大都市は好景気に沸いていたはずだが、夕子さんの村にはまだ戦後の近代化が届いていなかったようだ。
だから疫病対策に医者を呼ぶのではなく、神様への人柱などという馬鹿げた事をやったわけだ。

作品中では夕子さんの村で流行った疫病の正体はまだ明らかにされていないが、銅の鉱山で栄えた地域という設定からして、一種の公害病ではなかったか、と推察される。
足尾鉱山鉱毒事件というのが有名だが、銅などの金属鉱石を化学薬品を使って大量に製錬するようになった結果、使った強酸性の物質や毒性のある金属イオンが川や地下水に流入してしまい、その水を農業用水、生活用水に使っていた下流地域の住民に深刻な健康被害が多発した。

これは1970年代前半ぐらいまで全国で発生し、特に有名な四つが「水俣病」「新潟水俣病」「イタイイタイ病」「四日市喘息」として知られている。
が、名前がつくほど有名にならなかった小規模な公害病は他にも多く存在した可能性があり、夕子さんの村を襲った謎の疫病が、企業と政府が存在を認めなかった局地的公害病だったとすれば、夕子さんはまさに「三丁目の夕日」の時代の影の部分の犠牲者だった事になる。
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