愛は満ちる月のように
千絵の父親が地元弁護士会の顔役で彼女自身は父親の事務所で働いている。悠の父親が弁護士ということもあり、千絵は親しげに声をかけてきた。

付け足すなら、最初にホテルに誘ったのも彼女のほうだ。

たしかに、長い髪とメリハリのあるスタイルがひと目で気に入った。それなりに高い教養も彼の好みに当てはまる。本社からこちらに移るのに、これまで関係のあった女性は全て別れてきた。現地で調達するつもりだったので、渡りに船というやつだろう。


「酷いわ! 昨夜まで仲良くしてきたじゃない。それを、結婚のことを口にしただけで別れるなんて」


それも理由だが、千絵を抱きたくなくなった理由は他にある。

しかし、悠はそれを口にせず、別の理由を彼女に示した。


「まず――休憩時間とはいえ、会社まで乗り込んでくる非常識さに呆れ返るな。それと、最初から結婚は不可能だ、とわかっていたはずだ。君が二十九歳という年齢を理由に結婚を望むなら、私にこだわらず、早く他の相手を探したほうがいい、と言っただけだが」


悠は左手の薬指にはまったプラチナリングをくるくると回しながら……。


「私はすでに結婚している。それは最初に会ったときに話しただろう? わかったら人の噂にならないうちに帰ってくれないか。迷惑だ」


千絵から目を逸らせ、再び窓の外に視線を移したとき、ビルの入り口に停まる一台のタクシーに目を留めた。タクシーから降りてきたのはひとりの女性。紺色のスーツがちらりと見え、悠がさらに覗き込もうとしたとき――。


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