女王様のため息


どことなく熱っぽい空気に囚われた車内には、ラジオから流れる曲だけがその場を中和させていた。

無言のまま運転する司の表情も、美香さんの膝に手を置いたままで車窓から見える景色を見ている春岡さんの表情もどこか笑顔で、会話のない時間も穏やかでゆったりと流れる。

私と美香さんも、そんな流れに浸りながら、次の物件までの道のりをのんびりとしていた。

初夏の郊外の緑は青々としていて、目にも新鮮で、そんな時間が贅沢で。

助手席の背もたれに体を預けて目を閉じた時。

カーラジオから流れてきた曲と、演奏者の名前にびくっと反応した。

『神田 暁』

確かにそう聞こえて、思わず体を起こして耳を澄ました。

『昨年から精力的に国内での活動を始めている神田暁さんのヴァイオリン演奏曲です』

DJが話す言葉に必死で耳を傾けて、やっぱり間違いないと唇を引き締めた。

「あ、暁だ。帰ってきたんだ……ってことは、え?伊織は知ってるの?」

運転している司が、そんな私をどことなく気にしているけれど、そんな事はお構いなしに膝の上に置いていた鞄からスマホを取り出した。

焦ってなかなかうまく電話をかけられないけど、どうにか心を落ち着けて伊織の番号を探して。

呼び出し音が鳴るのを聞きながら。

伊織……。

高校を卒業する間際に伊織が姿を消して以来、連絡を取り合っていない事なんか忘れて。

伊織のご両親から
『伊織が自分から連絡をするまでは、そっとしておいてあげて』
とお願いされて、それからずっとその約束を守ってきたけれど、もう時効だよね。

伊織に連絡しなければ。

暁が日本に帰ってきてるってちゃんと連絡しなければ、とそれだけを頭の中で繰り返しながら呼び出し音をじっと聞いていた。

電話番号が変わっていない事を必死で祈りながらの数秒は、その何倍も長く感じられて、ぐっとスマホを握る手は真っ白になっている。

伊織、伊織。

何度も呟いた。

そして。

『はい、もしもし。真珠?久しぶりだねー』

高校時代から変わる事のない可愛い声が聞こえて、胸の奥が一気に痛くなった。







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