女王様のため息
いい大人なのに、恋人の顔を見るだけで心臓を制御できなくなるなんて照れくさい。
そして、それは温かい。
「奈々ちゃんね、生活の為に稼がなきゃって思いながら仕事をしていたけど、結婚したら愛する人との生活を大切にしたいから会社は辞めるって。
幸せなことに、必ずしも今までのペースで自分が稼ぐ必要がないなら、お互いの生活に無理をしてまで仕事を続けなくてもいいからって、そう言ってた」
ゆっくりと話す私を、戸惑いの表情で見つめる司。
「生活の為に働くなんてことリアルに考えた事なかったから、聞いた時は驚いたけど、今なら、奈々ちゃんの気持ちがよくわかる。この先司に養ってもらう事になるけど、そうしてでも司との生活を穏やかに過ごしたいから。
仕事を辞めようかと思うの。いいでしょ?」
きっと、私の決心の理由をよく理解できていないだろう司だけど、私の問いにしばらく黙り込んで考えて。
はあ、と息を吐いて天井を仰いだ。
「ずるい。俺が真珠が望んでる事に反対するわけないだろう?
最後には真珠のしたいようにしてやるってわかってて事後報告ってのが、本当やな女だよ」
吐き出すような声には諦めが混じっていて、のどの奥もくくっと震えている。
やな女、そんな事言われるなんて予想外だ。
私自身、司の仕事の事とか自分が生きていくうえで一番何を求めて必要なのかを考えて考えての結論なんだけど。
といっても、総会の打ち上げの後に部長に退職の意思を伝えるなんていきなりな事をしでかすなんて、自分でもびっくりした。
「俺は真珠が望む人生を与えてやる為に生きてるんだ。
仕事を続けるも辞めるも、好きにすればいい。
ただ、俺から離れて生きていくという選択肢はないから、それだけを守ってくれれば後はどうでもいい」
相変わらずため息まじりの声に、視線を合わせると。
「俺の人生は、この女王様の思うがままなんだよ。ほら、笑ってみろ」
司はにやりと笑って、私の頬に残っていた涙を指先で拭い、そして。
「い、痛いよー、離してよ、もー」
突然私の頬をぎゅっとつまんで引っ張った。
「づ、づ、づがざあー」
離せとばかりにもがいても、司はくすくす笑ってその手を離さない。
ほっぺが痛くてたまらないんだけど、ぐいっと引っ張られたままの頬ではうまく話せなくてばたばたと暴れるだけだ。
「くくっ。どんな顔でも、かわいいな」
そして、私のほっぺたを引っ張っていた手をわずかにずらして、
「仕事なんてどうなっても、愛してるよ」
唇を重ねた。
ほんの少しの唇の隙間から差し入れられた熱に捉えられて、私の体から力が抜けると、それを見越していたかのように抱きしめられて。
「これからは、俺だけの女王様だ」
その夜の甘い展開を宣言されて、そしてそれは、即実行された。
ゆるゆると溺れる、愛に満ちた夜が、始まった……。