桜空あかねの裏事情

物心ついた時、
母は既にいなかった。
けれど僕には父がいた。
口数はあまり多くない上、表情も仏頂面が多く豊かな方ではないが、とても博識で器用。
僕はそんな父が誇らしかった。
あの頃の僕には、そんな父と過ごす時間が何よりも大切だった。
特に生きていく為の知恵や、教養として身に付けておくべき知識を与えてもらう時は、とても楽しくて何よりも夢中だった。
それだけでなく、数え切れないほど様々な場所へ連れて行ってくれたり、夜寝れない時は寝るまでずっと側にいてくれたりもした。
相変わらず表情は仏頂面だったけれど、それでも僕の髪を撫でる父の手は、優しく温かかった。
僕はそんな父が大好きだった。

だから母がいなくても寂しいとは思わなかったし、何より母という存在がどういうものなのか、そして一体何を為すのかさえ分からなかった。
少なくともあの時までは。

もし僕が、あの時あんな事を言わなければ。
口にしなければ父との関係は今も変わらず、昔のままでいられたのだろうか。
無駄だと分かっていても、そう振り返る事がある。


その度に僕は
過去を引きずり、無関心でいられない自分自身に、嫌気が差している。

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