桜空あかねの裏事情
「予想では朝10時ぐらい…?」
「あかね様?」
不意に艶やかで鈴のような声が、背後から聞こえる。
「黒貂さん」
「ふふ。私の事は、黒貂とお呼び下さいませ」
振り返りながら名を呟けば、黒貂は口元に笑みを浮かべる。
形だけとは言え、あかねは現在、彼女の付き人となっている。
言わば主である。
だが何故か、自分が主なのではないかと思うほどに、言動が徹底している。
普段から敬語など堅苦しい形式を、煩わしいと思っているあかねとしてはありがたい。
「あ…そうだった。でもだったら、あなたもあかねって呼んで」
どんな相手でも対等の立場にありたいと思うあかねはそう答えた。
「それは……了承致しかねます」
しかし黒貂は頷く事はせず、少し困った顔をする。
ここに来た翌日にも同じ事を言ったが、今のように返されてしまい、そのままになっていた。
だが今日は少しばかり追求しようと、あかねは口を開く。
「どうして?」
「貴女様は御三家の息女で在らせられます故。敬わなければならない尊い御方なのです」
何度も耳にする、御三家という言葉。
生家である桜空、陸人の生家である菊地、そして海藤。
それら三つの家は、異能者の始祖と言われる古代種の直系の子孫と言われている。
だからと言ってそれを重く受け止めているわけではなく、むしろあかね自身は、そういう認識があるくらいにしか気に留めていない。
「前から気になってたけど、御三家ってそんなに凄いものなの?」
「はい。御三家は始祖の血を引いておられる、由緒正しき方々で御座います。本来なら私達、下々の異能者などと、こうして話すことさえ有り得ないのです」
自らを卑下するような言い方には納得いかないものの、一理あると思えた。
何故なら家を出て、あの日ジョエルと出会うまでは、あかねは今のように異能者である他者と、関わる事など無かったからだ。
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