《短編》家出日和
“嘘だ”と思えるほど、あたしは馬鹿ではなかった。


折角時間をかけたメイクは、涙でグチャグチャ。


髪の毛は乱れ、買ったばかりの服は、

血と精液との混じり合ったもので汚れていた。


ズキズキと痛みばかり放つ、擦れすぎたあたしの中。


その全てが物語る、情事のあと。



『…初めてだったのかよ。』


そう言って、顔を覆うあたしに俊ちゃんは、

お風呂場から持ってきたバスタオルを上から落とした。


まだ近くに居るのであろう気配を感じるだけで、呼吸さえも出来なくなる。


無意識のうちに体が震えて。


何も気付かず、ずっとこの人を思い続けていた馬鹿なあたし。


悪魔みたいなこの男を、好きだと思っていた馬鹿なあたし。


こんな人の前で、泣かないつもりだった。


なのに、涙ばかりが溢れて。


許さない、と。


言えばもしかしたら、殴られるのかもしれないとさえ思ったから。


そんな勇気なんてどこにもなくて。


言葉を飲み込んだ。


何もかも奪われたんだ。


秋色の木々が少しだけ熱を失った風に揺らされる、昼下がり。


大好きだった人は、憎むべき対象へと変わった。



あの日のことは、今でも鮮明に覚えているよ。


フローリングの冷たさも、俊ちゃんに与えられた痛みも絶望感も。


何もかも、あたしに焼きついて離れない。


思えばあの日が、本当の意味であたし達の“始まり”だったのかもしれないね。


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