気持ちは、伝わらない(仮)
「愛……」

「今、私に手を振ろうとして……」

 顔が真っ青だ。

上からは気付かなかったが、歩道を歩いていた香月に一瞬気をとられて事故を起きたようだった。

「こっち、こっち」
 数人の男たちが早くも一成を車内から引きずりだしている。

 下半身から流れる血の量が尋常ではない。

 香月はそこで動くのをやめたが榊はもちろんそのまま一成のもとへ向かい、側にひざまづいて医師となり、すべての雑念を取り払った。

「一成さん、一成さん、分かりますか?」

 榊は顔辺りを触診しながら、返答を願う。

 だが、一成は目を閉じたまま、びくりともしない。

 耳のあたりにも血筋の痕がある。

「……夕ちゃん」

 香月は立ち尽くしたままで、ようやくを出した。

「一成さん、もうすぐ救急車が来ますから。頑張ってください」

榊は言いながらズボンを切り、止血を急ぐ。

「夕ちゃん……夕ちゃん」

 香月のか細い声が聞こえる。だが、出るのは同じ言葉だけだったし、足も動かないようだ。

 サイレンの音が想像以上に早く聞こえる。だが、香月の中では何時間も経過したような思いだっただろう。

 冷静に考えられるくらいの余裕はあった。出血が酷いものの、どうにかなりそうだと判断できていたからだ。

 救急車の中でも医師としての処置はしばらく続いた。奴は幸運だと羨ましく思う余裕もあるくらいに。手や腕は血でどろどろになっている。がそれも当然、いつものことだ。

 香月はこちらの手の動きをずっと目で追っている。

「愛……大丈夫か?」

 なんとか一段落して、香月を気遣えるようになる。彼女はというと無意識に口元を抑えているのだろう、数秒たって、ようやくこちらを見た。

「どうなの、助かるの?」

 榊は片手で一成の足を抑えながら髪を払い、答える。

「助かるさ、こんなんで死ぬくらいならとっくに死んでる」

これは冗談ではない。ただの正論なのである。

香月は何か手助けをしようと考えたのか、おそるおそる胸の辺りに置いていたタオルに手をそえた。そして、

「夕ちゃん、痛くない?」

 香月が涙声を出すので榊は何も言わなかったが、そりゃこれだけ出血していれば痛いだろう、とは思った。むしろ、その痛みのために意識がなくなっているようなものである。

「血……すごく出てる……輸血とかするの?」

「そうだな……」

 微妙な判断だなと思いながら、もう一度一成の顔を見た。

「あの、私、AB型なの! B型には使えないかしら? もし使ってもいいんなら使って?お願い、全部でもいいから!」

 香月は涙目で榊を見つめたが、期待させてもいけないと、あっさり断った。

「使えないよ、そういう規則だから」

 その時、ずっと前を向いていた救急隊員がこちらを向いて話しかけてきた。

 もはや周りの声など聞こえていていない香月は、自分の手に赤い血がついたことも忘れ、涙が溢れる瞳で一成を静かに見つめていた。

 しばらくして榊の勤務先、桜美院病院に到着すると同時に担架に乗せ替えられた一成はそのまま慌ただしく手術室へ入っていく。榊も一緒に入って行くが、もちろん執刀医ではない。

 すぐ出て来るものと思っていた榊は、おそらく半時間は出てこなかったと思う。手術室の前で1人ふさぎ込んでいた香月は、榊を見るなり立ち上がって駆け寄った。

「夕ちゃんは、大丈夫なの!? 久司、どうなの?」
 
「右足は複雑骨折と切り傷で13針くらいかな。それと、脳震盪。小さな破片はあちこちに入ってたけど、大方はそれだけだから、何ともないよ」

 数々の重症患者を見ている榊にすれば何ともないの域に入るのだろうが、一般人の香月からすればかなりの大けがだ。

「どれくらいで治るの?」

 と心底心配そうに聞く。

「全治2カ月。入院3~4週間ってとこかな。まあ、退院する頃には普通の生活ができるよ。松葉づえさえあればね」

「そう……」

 香月は両手で顔を隠した。

 落ち着いて気が抜けたのか、泣いているようだ。

 意識して、努めて優しい声を出す。

「今日は会えないから、もう帰ろう」


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