絡む指 強引な誘い 背には壁 Ⅲ
「……遊びに来てるんです」
「あそう、それで買い出し?」
「まあ……」
 話せば長くなりすぎる。せめて携帯があれば先に巽に連絡できるのに。よく考えれば、買い物に行くからとちゃんと断って来たから、何も心配せずに待っているかもしれない。
「新東京マンションってことは、超がつくね。すごいね愛ちゃん。何者?」
「別に。……普通です」
「ふーん……」
 言い方が冷たかったせいだろうか、黒崎はそれから一言もしゃべらなかった。この前とは少し雰囲気が違う気がする。仕事の途中だから、落ち着いているのだろうか。
 ものの5分で新東京マンションに到着する。ポルシェはエントランスまできちんと車を滑り込ませたわけだが、何気に前に停車している車を見て驚いた。
「あ!」
 巽のBM車だ。もしかして、心配して迎えに来てくれようとしたのかもしれない!
 逸る気持ちを抑えきれずに、完全停車するなりドアを開けた。
「あ……」
 ロビーのガラス張りの自動ドアのその向こうに見えたのは。
「…………」
 巽は何も言わない。ただ、きちんと服を着替えて、ボーイが用意した車に乗り込むつもりで、エントランスへ出て来たところのようだった。
「あのっ……」
 香月が話しかける前から、ポルシェの運転席を見ていた。香月は慌てて後部座席のドアを閉める。
「愛ちゃん、またね」
 驚いて運転席を見た。運転席のサイドウィンドは半分開いていて、相手の顔がよく見える。
「……」
 うんともすんとも返事ができずに、ポルシェはさっとエントランスから出た。
 それよりも先に、巽はボーイに車を車庫に戻すように指示すると、中に入った。
「えっ、あのっ、ごめんっ、そのっ……」
 飲料水を買ったせいで荷物が重く、速足の巽についていくのが精いっぱい。
 エレベーターホールまで歩いて、ようやく追いついた。
「あのっ、ごめんね」
「何も謝られるようなことはないが」
 …………。
「あのっ、カレーにしたくて。買い物行ったんだけど」
「飯はルームサービスで済ませた。腹が減ってたんでな」
 …………。
「…………そっか。ごめん、作り方分からなくて、本から探してたから……」
 エレベーターは目の前に停まると音を鳴らし、ゆっくりと扉を開く。
「あっ、明日でもいいかな。カレー」
 香月は思い切って聞いた。だが
「当分帰れないからな」
 返って来たのは、冷たいその言葉と、先に乗り込んでしまう巽の後姿だけだった。
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