絡む指 強引な誘い 背には壁 Ⅲ
 男だ。
「も……もしもし」
 しゃべらないわけにはいかない。
「もしもし、巽様の秘書の川向です。ボスからご伝言をお預かりしています」
 相手は一人喋っている。香月は、要件のある電話だったことにほっとしながら、相槌を打った。
「少し時間が空いたので中央ホテルでお待ちしています。部屋番号は2032です、とのことです」
「分かりました! ありがとうございます」
 電話はすぐに切れた。
 突然、笑顔になれる。きっと昨日は本当に仕事があったか、すねていたかのどちらかで、今日仲直りするつもりなんだ。中央ホテルは会社の近く。今歩いている場所からも10分あれば十分着く。
身体が突然軽くなった。
 このような誘いは初めてのことだったが、今はまだ何かの仕事中で手が空いておらず、仕方なく秘書にかけさせたのだろう。早くしないと私が家に帰ることを考えたのかもしれない。
 香月はまるでスキップをするように、ホテルへと急ぐ。行く前に、コンビニで新しい下着とストッキングだけは買い、今晩のお泊りにしっかり備えた。
 どうやって甘えよう。どうやって、その意思を確認しよう。ああ、こんなことなら何も疑わずにしっかり信じていれば良かった。
 ホテルに到着するなりロビーを抜け、エレベーターへ入る。午後7時前という時間もあってか、館内はわりとざわついていた。
 秘書に聞いた番号を思い出す。2032、2032……さすが、スイートだ。仲直りにはもってこいの場所。
 金銭感覚ゼロでいざ部屋の前でインターフォンを鳴らす。出なかったら携帯をかけよう。
 と思っていたのに、扉は開かず、先に電話が鳴った。
「……あれ」
 香月は電話に出る。
「もし……」
「どうしてお前がここにいる?」
「は?」
 考えるより先に言葉が出た。
「呼んだの自分じゃん!」
「俺は呼んでない」
「呼んだよ。だから私ここにいるんじゃん。見えてるんでしょ? 開けてよ」
 おそらくのぞき穴からこちらを見ているはずだ。
 鍵を開けてくれるのを待っていると、次の瞬間、電話口から小さくではあるが、信じられない声が小さく聞こえた。
「ちょっと、何?」
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