絡む指 強引な誘い 背には壁 Ⅲ
急に声が小声になる。とっさに周りを見たが、話が聞こえそうな位置は誰もいなかった。
「……。2週間、連絡とってないんです」
「へー……なんか相手、大人の人じゃなかったっけ?」
「はい、だから……私からこう連絡しなきゃいけないのかなあ……」
「年下が下手に出るというよりは、悪い方が下手に出た方がいいとは思うけどね」
「うんまあ、悪いのは私のような気がしますけど」
「じゃあ連絡すればいいじゃん。それとももう別れるの?」
「いやあ……」
「はっきりしないんだなあ。いいよ、別れても、僕がいるじゃん」
「……あ、ですね」
「乗り悪いなあ(笑)」
 成瀬との会話は確かに楽しい。だけど、ほら、すぐ溜息が出る。
 どうしよう、今日、連絡しようか……。
 なんとなく身体をディスプレイの方に向けて、手はキーボードの上に置いた。前を見たまま、また悩む。
「香月さん、僕そのデータ、待ってるから」
 雑談を持ちかけられた成瀬に要請されてようやく、
「あ、すみません」
と、両手を素早く動かし始めた。
 そのまましばらく仕事に集中していた。だからバックの中で携帯のバイブが鳴ったことにも気づかなかった。このデスクに座っていて、仕事関係の連絡が携帯に入ることはない。
 従って、仕事に集中するために、普段携帯はバックの中に常にしまっているのである。
 だから着信に気づいたのは、午後6時。退社時間になってからだった。
 履歴の名前を見て、驚く。
『巽 さん』
 4時38分、一度着信が入っている。
 一時間半も経過してしまったので、もしかしたら今かけても出ないかもしれない。
 だが、それも覚悟でとりあえず発信ボタンを押した。
 急に心臓が高鳴り、身体が熱くなる。まさか、巽から連絡をくれるなんて、思いもしなかった。
携帯を耳に当てた香月は、そのまま廊下に出て、自動販売機の側の窓の近くのソファへ、人目もはばからず急ぎ足で向かった。
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