絡む指 強引な誘い 背には壁 Ⅲ
その4時間前。巽光路は出社と同時に、ある屋敷へ来ていた。理由は病床に伏せている老人の見舞いである。
長年の付き合いになる、山根宗二朗氏は今年81歳になる。病名は肺癌。10年近く前に病気が発覚してからは、ほとんど入退院の繰り返しだった。その度に病院へ見舞いに行き、今やその回数も分からないほどになる。年数が経つほどに癌はあちこちに転移し、もう今月からはただ痛み止めの点滴を打つだけの、自宅療養になっている。
「死ぬ前に言っておきたいことがある」
巽は、その山根が自らを誘い出した文句をしばらく考えていた。おそらくは、遺産分与の件で間違いないだろうが。
彼はもう自分が長くないことを確実に悟っている。それなのに、潔く、また、凛々しい。
自分が彼に惹かれたのはそういうところだろう、巽もまた、山根が長くないことを覚悟していた。
山根が所有する広く古い屋敷は、先祖代々のもので、歴史的価値があると聞いていた。もちろん広大な日本庭園は丁寧に手入れがされ、ちり一つ落ちていない。
「待っておったぞ」
女中にリクライニングベッドを起こしてもらいながら、一階の部屋にいた山根は予想以上に元気そうに笑った。
「お元気そうで何よりです」
「お前にな、話しておきたいことがあってな。それを話すまでは死ねんと思っておったのだ」
巽は、まだ若い女中に出された座布団に座り、後ろについてきていた風間もその少し後ろに同じように座った。
山根はタンスの一番上の引き出しの中から一枚の茶封筒を女中に取らせる。
「茶は後じゃ。先にこの写真を見てくれ」
封筒がA4版であったため、写真と言われて少し驚く。
「まさか。見たことあるはずはないの……」
真っ先に目に飛び込んだのは、その、見るものを軽蔑させるような、まるで睨んだような視線。だがしかし、それはとても挑発的で、あやうくその中に吸い込まれそうになる。
色白で髪の毛は栗色。その栗色はとてもさらさらなのであろう、風とともに、さらりと揺れている。きゅっと結ばれた唇は薄く、しかも赤い。
背景はどこかの公園であろう、遠くにぼやけた鉄棒と柵が見える。
全体を確認してから、ハッと気づいた。
「……これは?」
巽は先に確認する。
「もう20年……丁度20年前。孫が高校で写真部に入っておっての。それが入賞したというので、県のホールへ見に行ったんじゃ。その時、一緒に飾られておった写真でな。わしはそれがどうしても欲しくて、撮影者に譲ってもらったんじゃ……。だが、残念なことに、その写真の子の身元が分からんでなあ。写した本人も確認しとらんそうだ」
「20年も前ですか……」
長年の付き合いになる、山根宗二朗氏は今年81歳になる。病名は肺癌。10年近く前に病気が発覚してからは、ほとんど入退院の繰り返しだった。その度に病院へ見舞いに行き、今やその回数も分からないほどになる。年数が経つほどに癌はあちこちに転移し、もう今月からはただ痛み止めの点滴を打つだけの、自宅療養になっている。
「死ぬ前に言っておきたいことがある」
巽は、その山根が自らを誘い出した文句をしばらく考えていた。おそらくは、遺産分与の件で間違いないだろうが。
彼はもう自分が長くないことを確実に悟っている。それなのに、潔く、また、凛々しい。
自分が彼に惹かれたのはそういうところだろう、巽もまた、山根が長くないことを覚悟していた。
山根が所有する広く古い屋敷は、先祖代々のもので、歴史的価値があると聞いていた。もちろん広大な日本庭園は丁寧に手入れがされ、ちり一つ落ちていない。
「待っておったぞ」
女中にリクライニングベッドを起こしてもらいながら、一階の部屋にいた山根は予想以上に元気そうに笑った。
「お元気そうで何よりです」
「お前にな、話しておきたいことがあってな。それを話すまでは死ねんと思っておったのだ」
巽は、まだ若い女中に出された座布団に座り、後ろについてきていた風間もその少し後ろに同じように座った。
山根はタンスの一番上の引き出しの中から一枚の茶封筒を女中に取らせる。
「茶は後じゃ。先にこの写真を見てくれ」
封筒がA4版であったため、写真と言われて少し驚く。
「まさか。見たことあるはずはないの……」
真っ先に目に飛び込んだのは、その、見るものを軽蔑させるような、まるで睨んだような視線。だがしかし、それはとても挑発的で、あやうくその中に吸い込まれそうになる。
色白で髪の毛は栗色。その栗色はとてもさらさらなのであろう、風とともに、さらりと揺れている。きゅっと結ばれた唇は薄く、しかも赤い。
背景はどこかの公園であろう、遠くにぼやけた鉄棒と柵が見える。
全体を確認してから、ハッと気づいた。
「……これは?」
巽は先に確認する。
「もう20年……丁度20年前。孫が高校で写真部に入っておっての。それが入賞したというので、県のホールへ見に行ったんじゃ。その時、一緒に飾られておった写真でな。わしはそれがどうしても欲しくて、撮影者に譲ってもらったんじゃ……。だが、残念なことに、その写真の子の身元が分からんでなあ。写した本人も確認しとらんそうだ」
「20年も前ですか……」