絡む指 強引な誘い 背には壁 Ⅲ
「何でバスロープなの!?」
 玄関に出て来た巽は、髪から滴がポタポタと、肩にかけられたタオルに落ちていて、水も滴るいい男の代表作のような良出立ちであった。
「今帰ったところだ」
「……」
 夏ならまだしも、この寒いのに、帰宅早々シャワーとは……。
「メシの前に話か?」
「えっ?」
 顔を見上げた。巽は、既にソファに腰掛けながら、ビールの栓を抜いたところだった。
「何が言いたそうだな」
 また下らないことでも言いだすと思われている……そんな気がした。そんな目つきで、巽に見られている気がした。
「……」
 素直に答えられずに、黙ってしまう。
「……風間と会ったんだって?」
 ……知ってたんだ……。
「うん。偶然。けど、風間さんに会わなかったら、今日あなたが休みだって、知らなかった」
 グラスにビールを注ぐ巽を、真剣に見つめた。
「休みだと知ったら、会いたくなるに決まってるだろう? 今日は外せない用事があったんでな」
「どんな?」 
 これは、詰問ではない。自分に言い聞かせる。答えたければ、相手が堪える。それだけのこと。
「墓参りだ。知人の。命日だったんでな。去年は仕事で行けずじまいだった……。今年こそはと思ってたんだ」
 あまりにも重い用事に、今まで疑っていた自分を少し制す。
 だけど、ゆっくり息を吐いて、思う。別に、一緒に行ってもいいじゃんそれ……。
「どんな知り合い?」
 一度息を吸い、大きく溜息をついてから、巽の隣に腰掛けた。
「……メシは?」
「後でいい」
 巽はこちらを見ずに、一口ビールを飲んだ後、まっすぐ前を向いたまま、喋り始めた。
「昔、俺の子を流産して、死んだ女だ」
「……」
 え、にも、へにも聞きわけがつかない、自分の息のような空気の音だけが、耳に伝わった。
「えっ……」
 遅れて、なんとか声を出す。
「それだけだ」
 巽は言いきって、そのまま立ち上がってしまう。
 何のジェスチャだろう。自分は何故今、手元を口で抑えているのだろう。涙が出るわけもない。ただ、息をするのが精いっぱいで……。
「昔の話だ。……10年にはなる」
 自分の10年前は、まだ高校生。突然、巽との距離が広がった気がしたが、それに追いつこうと必死に顔を上げた。。
「し……死んだって、何で?」
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