絡む指 強引な誘い 背には壁 Ⅲ
 下手に出ることにある種の強みを見出したのであろう香月は、更に腕に力を込めてくる。
「私、大学のとき、初めてすごく好きになった人がいて……多分捨てられたんだ。自分ではそう思ってないけど、多分第三者からみればそう」
 特に、思うことはない。
「初めて付き合う人で、年が10も上で、すごく好きだったのに。その人大人の女の人を妊娠させて結婚したの。
 けどね、今でも時々会うの。2年くらい前に5年ぶりに会って、それからなんだかんだで偶然会ったりするの。
 最初は気持ちがぶり返して全然ダメだった。だって、妊娠させた人と離婚もしたのよ。
……皆からやめろって言われても、もうわかんなかった。追いかけそうだった……ううん、追いかけてた。何回……海外に行ったことか……。
 だっていつも優しいの。普通なの。もしかして、私だけに優しいのかもとか思ってしまう。
 だけど……あなたと出会って、気持ちが落ち着いた。
 今ではすっかり忘れて、この前阿佐子の告別式でも会ったけど、普通だった。
 私がね、普通に、平気でいられるようになったの」
 香月はにはもちろん知らせていないが、時々、周辺を監視させるように個人の探偵を雇っている。もちろん、榊久司のことも、報告書で知っていた。
「……」
 ただ無言で頭を撫でてやる。
「少し寝るか?」
「私、ずっと起きてる……。次起きたら、もう帰りだよ? そんなの嫌だ」
「明日は仕事だろ?」
「そうだけど……そんなこと、どうでもいい」
 香月は乗りかかるように、覆いかぶさり、身体を押しつけてくる。
「選べる立場か(笑)」
 何も選ぶことができないくせに、捨て台詞だけは一丁前だ。
「どうせ私がするのはお茶汲みが精一杯だから大丈夫。にっこり笑ってお茶汲んでれば一日が終わるの」
「……もっと真面目にやれ……」
 少し笑いながら言った。
「そだね……」
 強く力を込めると折れそうな身体を抱きしめ返した。いつものように、心地がいい。このまま、眠りにつきたい。だけど眠れば、帰りが来てしまう。
 眠らなくても帰りは来る。なら、同じことか?
 結局、香月はあれからし数分起きていたが、疲労もあってかしばらくすると予想通りぐっすり眠っていた。
 そして帰りになれば、予想通り駄々をこねる。
「ねえ、本当に仕事行くの?」
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