絡む指 強引な誘い 背には壁 Ⅲ
「……」
 巽はそれ以上何も言わない。その無表情を見て、心底自分が嫌になった。彼氏の家に来て、仕事上がりの疲れた顔を無表情にさせるほどの、無神経な自分。
 香月は、顔を湯につけた。そして、3秒経ってから、息をするために顔を上げる。
「ごめん、やっぱ帰る。本当は、家に帰ろうと思ってたの」
「……言えないことか?」
 見つめて理解しようとしてくれるその一言に激しく動揺し、息が荒くなった。
「言いたくない」
 それが正しい。言えば、またケンカだ。結局辛くなるのは自分なのだ。結婚したいと願う自分と、それを拒む巽。結局は自分が折れるしかない二択の中で、つきつけられた答えを受け止めるしかないのなら、その式すら、忘れようと努力した方がいい。
「……送る」
「いいよ、帰れる。だって今帰ってきたばっかりだし。疲れてるし……」
「大したことじゃない」
 巽は言うだけ言うと、ざっと立ち上がった。疲れて帰って来て、まだ食事もしていないのに風呂に入らされ、その上更に、今から東京マンションまで女を送り届けに行くという無駄極まりないふざけた流れに、怒っただろうか。
 香月も慌てて立ち上がり、後を追って洗面室に入る。巽は無言でバスタオルを手渡してくれた。
 その優しさに、心は更に、乱れる。
「運転……大丈夫? お風呂入ったし……、眠いでしょ? いいよ自分で帰れるから。それに、お腹すいてるでしょ?」
 分かっていながら、食事の準備もしていない。帰ってくるかどうか分からなかったのだから仕方ないといえばそうなのだが、作ってあげる気すらない自分にも落胆していた。
「明日も仕事だろ?」
 バスローブを羽織らずに、既にシャツに袖を通し始めた巽はこちらを見ずに、聞いた。
「別に、タクシーでもいいし……」
「タクシーで帰りたいのか?」
「そんなことはないけど……」
 それだけ言うと、巽は着替えを進める。香月は、泣きたくなる自分を制して、唇を噛みしめて、さっきまで着ていたティシャツを身体に通した。髪もまだ洗っていなかったので適当に梳いて整え、玄関で待つ巽のために、足早で歩く。
「ごめん、怒ってる?」
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