絡む指 強引な誘い 背には壁 Ⅲ

香月の分岐点

 宮下と別れても、泣こうとは思わなかった。それよりも、彼の将来にもっと大きな希望が持てると思うだけで、心が軽くなった。
 彼はずっと疑っていたが、榊がそうさせたんじゃない。また、巽でもない。
 自分の中で、彼と交わること以外の何かを他にしたいと思ったのだ。
 決定的なきっかけは確かに、自らの浮気であった。それはもう隠そうとも思わない。
 巽に心浮ついたその日、自宅に一度帰ってから、夜、宮下の部屋へ行った。
 その前に電話で大方話はついていた。他に気になる人と寝たと言えば、宮下も続きを望んでも仕方ないという風に思ったようだし、また、こちらもそれを強く望んだ。
 ただ、この先、職場でいつ会うとも限らないので、終わりだけはちゃんとしておきたかったし、また、話せる相手でもあった。
 香月は二度「すみません」と言った。それくらいだった。
 宮下は、「誰のせいでもない」と言った。あと、頭を軽く撫でた。
 自分達の時間が一番遅く流れた瞬間であった。
 帰りの玄関口で「送る」と一言言ったので「はい」と素直に従った。
 香月は最後に言っておきたい事があったので、落ち着いた車内で話すことにした。
「私、付き合い始めて、宮下店長を『尊敬する』という気持ちが分からなくなりました。だけど今、こうやって、元の従業員の関係に戻ると、あぁ、そうだったな、ってなんか納得のいくものになったと思います」
 それが今の正直な気持ちであった。
「……、香月、聞いていい?
 俺のこと、好きだった?」
「……」
 正直に言おう。
「誰にも渡したくないんです、私が一番尊敬する人だから。皆が尊敬する中で、私、一人が認められたい、そう思います」
「それは、仕事の中で、だよね?」
「……そうだったんですね。私もそれが分かりました。プライベートで、彼女として認められるのは、全然違っていました」
 すみません、と言おうとしてやめた。既に東京マンションは見えている。
「俺の中では一緒だったよ。この子が困らないようにしてやりたい。守ってやりたい、という気持ちは仕事でも、プライベートでも、どんなときも」
「これからも、仕事のときはそういう視線でいてくださいますか?」
 もうそれをずるい気持ちだとは思わない。
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