絡む指 強引な誘い 背には壁 Ⅲ
 ただのカップルの会話。巽らしき男の発言は特に不自然でもなく、もいないようなので、お忍びデートとでも言うべきか。どうやら今回の事件とは何の関係もないようだ。
「ねえねえ、この後仕事、ほんとに行くの?」
「マンションまでは送ってやる」
「それは別にいいんだけどさあ……だってぇ……。あーあ、食事なんかするんじゃなかった。なんかその時間もったいなかったなあ」
「ほかに何かしたいことが?」
「……でもきっとあなたはおなかがすいて何もできないって言うから、やっぱりご飯食べるしかなかったんだね」
「ここのところは日本にいることが多いから時間は割いているつもりだ」
「うん……感謝してる」
 何かを感じて、エレベーターの方に足を近づけた。
 なんだろう。この、胸のもやもやは。眼光が鋭くなっているのが、自分でもよく分かる。
『現れませんね』
 どうやら先ほど見つけたというのは人違いだったようだ。芹沢は腕時計を見た。時刻は九時15分。このネタはガセの可能性が高い。
 マイクに向かって、エレベーターからも怪しい人物は降りていないことを告げようとした時、数メートル離れたところから香月がこちらを見ていることに気づいた。
 マイクを見られたか!?
「こんばんは」
 彼女はそれだけ言い、さっと横切る。もちろん巽らしき男の腕をしっかり掴み、俺の方を他人の眼差しで見る。
「あ、こんばんは……」
 それしか出ない、し、既に2人はエレベーターに乗り込んでいる。
 巽にじろりと睨まれた。だがここで睨み返してはいけない。
 ドアはすぐに閉まり、姿はじきに見えなくなる。
 2人はこの後どこへ向かうのだろう。
 仕事がある巽に、香月はだだをこねていたが、車内でキスをしてそのまま別れただろうか……。
『おいエレベーター、動きはないか?』
 報告を催促されて、ようやく仕事を思い出す。
「はい、問題ありません」
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