絡む指 強引な誘い 背には壁 Ⅲ
 水曜日の夜、つまり休みの前日だと意識してしまう自分などいない。
 そう強く思いながらも、今しがたレイジに突然電話をかけ、2時間後の食事の約束をとりつけた自分を少し反省していた24時間営業のカフェ。
 平日午後7時の微妙な時間帯に客は少なく、店内は静かであった。ここで2時間も時間を潰せるとは思っていなかったが、とりあえず一時間は粘ろうと決めたのである。そのために、先ほど駅ビルで雑誌も買ってきた。
 意識して手にしたのは、樋口の兄が勤務している研究所が大きく表紙に載った科学雑誌。別に縁談を気にしているわけではない、樋口の兄からの誘いももちろん既に断っている。
「ご無沙汰しています」
 そんなただの挨拶から始まった兄との会話は、多分、今までで一番長かったと思う。相手は思いの他、なかなか引かなかった。
「私には、今付き合っている人がいますから」
 と言えばちょっと会って見てみるだけでも。
「結婚はまだしませんから」
 といえば、会えば気も変わるかもしれないから。
 兄がサラリーマンからの圧力をかけられているというわけではなく、単に薦めてくれているということは充分よく分かったが、それでも香月には断る以外の行動力はなかった。
 20分ほどは粘られただろう、最後に、
「失礼を承知で聞くけど、まさかまさか、その付き合っているという人は榊君じゃないだろうね?」
 いや、例え榊でも構わないではないかとうんざりしたので、
「違います。榊先生に大変失礼です」
と、強い口調で放った。何故か、兄は笑ったが。
 妹がいなくなったことで、兄としての何かそういう世話焼きの部分が出てきてしまったのだろうかとずっと考えていたが、まあ、そんなことどちらでもいいか、とオレンジジュースに手を伸ばした時、
「こんばんは」
 と、突然対面する席に座った人物が一人。
 誰だか分からないのは、そのサングラスが濃いせいではない。こんな茶髪の、カジュアルだがどうも高価そうなティシャツとジーパンを着るような男性に心当たりがなかったから。
 もちろんレイジでもない。
 一時停止していると、相手はすぐにサングラスを取った。
「あ」
 思わず口に出てしまうほど。
「サングラスとらないと分からないなんて、心外だなあ」
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