絡む指 強引な誘い 背には壁 Ⅲ
 言い切ってまっすぐ前を見た。そこには高そうなネクタイが完璧に締められている。
「話さないのか、話せないのか」
 彼はゆっくりと顔を近づけ、耳元で囁いた。
「話したくなるように、してやろうか?」
 それは脅しでも、はったりでもなく、いつもの快楽への誘いであり、思わずそれに反応しそうになる体を一瞬遅れて制した。
「やめて!」
 他にも言葉はあったはず。なのに、まっ先に出たのは、全てを拒否する冷徹で激しい大声であり、自分でも驚くほどであった。
 更に香月は、巽の胸を力づくで押のけていた。
「……」
 無言の悲惨な間。
 ネクタイの上の顔を見ることなどできない。
 彼は何もいわず、靴を脱いで中へ入った。玄関先で立ち尽くす香月を残して。
 頭の中では、一言しか思い浮かばなかった。それ以外の方法を、私は知らない。
「ごめん、帰る」
 何度同じことをすれば気が済むのだろう。
 そんな自分自身の情けなさから、慌ててドアノブを下げた。
「待て」
 後ろから投げかけられた低い一言に、無意識に安堵して、静かに呼吸をした。
「言いたいことがあるんだろう?」
 全てが言いたいことであって、言ってはいけないことのような気がした。
 他人の家族に自分が入れるはずはないし、入りたくもない。佐藤の時にそれを思い知ったことをしっかりと思い出しておく。
「ない」
 遅れて出た返事のわりに、はっきりと出た。
「そのまま帰ったって同じことだろう。言えば何か変わるかもしれん」
「何も変えたくない」
 それが一番正しい。
 だけど、それは無理だろう。
 2人はきっと変わっていく。いや、自分が変われず、おいていかれるのだ。
「……別れる時は……」
 小声しか出なかった。後ろ向きで発したせいで、聞こえていないかもしれない。
だが、巽は復唱した。
「別れる時は?」
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