絡む指 強引な誘い 背には壁 Ⅲ
 足音がする。彼が近くに寄って来ているのが分かる。
 耐えられずに振り向いた。予想通り、残り一メートルまで近寄ってきている。
「そのときは、私から言うから」
 歯を食いしばった。目はしっかりと彼の顔を捉えているつもりだったが、実際はまたネクタイを見つめていた。
「何を真剣に言い出すのかと思ったら……」
 思いもよらない一言が降ってきて顔を上げた。
「お前に決められるわけがない」
 意味が分からなくて、
「どうして?」
「別れたいなどちっとも思ってないだろう? 俺が別れたい時にそう決める」
 その意味を深く考えたかったが、今は甘い言葉に流されている場合ではない。
「だけど私は……、あなたを受け入れられないかもしれない。時間が経てば変わるかもしれない。けど今は、分からない。変わるかもしれないし、変われないかもしれない」
「今更俺の何が受け入れられないと?」
 その、何もかもさらけ出しているだろうとでも言いたげな嘘つきの眼差しに、口調が荒くなる。
「あなたが今までずっと私に言わなかったこと!」
「何だ?」
 巽は目を細めて顔を顰めた。その表情に飲まれないよう、小さく息を吸う。
「……息子さんのことだよ」
「……何?」
 珍しく、巽の返事が遅れた。明らかに怪訝な顔をしている。
「鷹栖 卓(たかす すぐる)さんっていう息子がいるんでしょ? しかも、その人の母親は一年前に亡くなってる」
「何のことだ」
 突然視線をそらされ、香月は思わず後を追った。
「知ってるよ! 全部。別にいいよ、私」
 必死で出た一言のせいで、自分でも何がいいのかは全く分からなかった。
「何がいいと言いたい」
 巽はこちらを見ようとはしなかった。
「流産して死んだって言っておいて、本当はちゃんと子供がいた。どんなつもりで嘘を言ったのかは知らないけど、別にいいよって言ってるの」
「……」
「……兄が……、兄さん、その鷹栖って人と仕事したことがあって、この前あなたの息子だってことを話したって。多分息子さん、あなたと私のことを知ってるって」
 ポーカーフェイスは一度強張っただけで、今はいつもの無表情に変わっていた。
「話が見えんな」
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