絡む指 強引な誘い 背には壁 Ⅲ

西野、転落への一歩

『今、家いる? 俺、下にいるんだけど……』

「どうしたの!?」
 自宅マンションのロビーといえど、大声を出すわけにはいかない。香月は声の代わりに、必死の表情で驚きを訴え、突然深夜に訪問してきた西野を出迎えた。
 11月も半ばになり、薄い上着を羽織って部屋から出た香月は、まず、ソファの上に置かれている毛布に注目した。
自分から電話をしてきたというのに西野は、全くこちらを見てはおらず、ただソファから立ち上がっただけで、毛布の中には息子を気にしていた。
香月も近づいて、ひょいと覗き込む。そこには、言葉には表現できないほどの柔らかな寝顔があった。
「寝る場所がないわけじゃないから」
「え?」
 西野は何とか笑みを作り、座って話すよう促した。ただ、現在時刻は午後11時を回っている。こちらは、生活時間のズレた巽との逢瀬のせいで、独身女性としては特に珍しくもない現象だが、それに対し西野は、わが子を毛布にくるんでまで、その独身女性のマンションに押し掛けてきたのである。
 とても尋常ではなかった。
とにかく香月は、西野が話し出すのを待つしかなかった。
「……離婚したんだ、俺」
 それは、西野のことを知るみんなが予想していたことであった。ただ、時期は想像していたよりも随分遅く、そこには西野のただならぬ苦痛があることは明らかであった。
「……そう……」
 何か言葉をかけなければ。そう思った瞬間、もしかしたら「一緒に面倒をみてくれ」という一言を出されるのではないかと、言葉が詰まった。
 恐る恐る、ゆっくりと西野を見る。
 西野は睨むほどの視線でこちらを見つめていた。
「り、……離婚っていつ?」
 自然に口は開いていく。
「今日、提出した」
「今日……」
「ここ数日眠れなくて……あいつともなかなか連絡がとれなかったんだ……」
「……そうだったの」
 沈黙になるのは仕方なかった。
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