絡む指 強引な誘い 背には壁 Ⅲ
「その辺り……」
「用意させる」
「……どうやって?」
「もうじきスタイリストが来る」
「スタイリスト……」
 巽はふふんと笑ったので、何かの冗談かもしれなかったが、香月にはうまく伝わらなかった。

「馬子にも衣装だな」
 リムジンに乗り込み、香月を隣にふふんと横目で顔を緩めた巽は、見下すように言葉を口にした。
「……失礼な」
 としか言いようもない。
 巽は何様のつもりか、スーツを抱えた女性を2人部屋に入れると、20分で香月のフルメイクと着替えを完成させ、ハブラシを残して行ったのだった。
「ねえ、これ、いくらしたの?」
 白のスーツは、眩しいほどに輝いており、メイク共々仕事ができる女性を演出してくれているのだが、それが身に合っているはずもなく、今日の出社がこんなことで心配になるとは、まさかの展開であった。
「……30万だ。出世払いにしといてやる」
「えー! 嘘、そんなにするの!?」
「仕事もできん奴には勿体無いがな」
「酷いけど半分あたってる……だって私今日仕事行っても、たいしたことしない……。こんないいスーツ着て何しに来たんだって思われそう……」
「新聞を切って貼る役には確かにもったいないか」
「もうちょっとマシなことしてます!」
 30分してすぐに中央ビルの少し前に着く。ビルの手前でも会社の人がちらほら見え、ここでリムジンから降りるのは非常に勇気がいるが仕方ない。今さら引き返してとも言いづらい。
 完全に停車した後、風間が降りてドアを開けようとしたので、
「風間さんはそこにいて下さい!」
 と慌ててドア役を制した。
「ありがとう、えっと、また遊びに行ってもいい?」
「ああ」
 自分でドアを開けようとして、もう一度振り返る。
「何だ?」
「……行ってきます」
 行ってきますのキスを頬にしても良かった。
 けど、恥ずかしくてやめた。
 車を降りてから周囲を確認。大丈夫、営業部は誰もいない、多分。
 だが、今の行為は完全に周りの視線を浴びており、噂になることは必須であった。
 全く、軽の一台も持ってないんだろうか、あの人は……。
 いつもどおり、エレベーターで77階まで上がる。最初はこのエレベーターの階数を見るだけで緊張したが、今や慣れたものだ。
 そして扉から出て、真っ直ぐ歩いて左を曲がるとそこに、営業部があり、奥が第一課になっている。
 新品のスーツで半分うきうきしながら来たのに、一番最初に見かけたのは宮下であった。
 向こうからこちらに歩いて来るのが見える。
 とりあえず視線を伏せていたが、当然声をかけられた。
< 59 / 318 >

この作品をシェア

pagetop