絡む指 強引な誘い 背には壁 Ⅲ
「すみません!」
 何事かと、後方から突然二本の白い腕が香月を囲むように伸びてきて、ドアに手をついた。
 少し振り返って見上げると、さきほどの金髪が苦しそうな表情でどうにかこちらに触れないようにドアに手をついた上で距離を保とうとしている。
 カーブで人が流れ、押されたようであった。
「すみません、痴漢じゃありません。後ろから押されてるんです。触らないように気をつけてます!」
その弁明が正直な上、おかしくて笑えた。
 くすりと笑って「はい、大丈夫です」と彼を助けるために小さく言った。
 次の駅で多数の人が降りると、さきほどよりは人口密度が低くなり、彼の腕は見える場所にはなくなり、ようやく人らしく、向かい合って、謝罪を述べた。
「すみません、痴漢じゃありません」
「大丈夫です、触られてません」
「後ろのおっさんに押されて……」
「すごい人でしたものね、私、普段電車には乗らないからびっくりしました」
「あ、僕もなんですよ、滅多に。今日はたまたま車の都合がつかなくて」
「私も同じです」
 よく見れば彼の瞳は青い。外人だ。肌も透き通るように白い。だが言葉は日本人よりもうまく、外見をよく見なければ背の高いの日本人と間違えるほどだ。
「あ、僕、こういう者です」
 彼が思いついて出したのは、一枚の白い小さなカード。名刺ではない。
「……大学の先生ですか?」
「はいそうです、だからもう、痴漢だけには気をつけないと」
 先日、大学教授の痴漢話がニュースになっていたことを思い出す。だが、それ以上に彼の年齢の方に驚いた。想像より、実年齢は10歳も超えているということになる。
「そうですね」
「名刺を忘れてすみません、こんなときに名刺がいるとは……」
 名刺を探す姿がまるで日本人のサラリーマンのようで笑えたが、よく考えれば名刺の探し方など世界共通であるような気がした。
「大丈夫ですよ」
 笑顔で言う。だって、名刺をもらったって多分、名刺ファイルには入れないだろう。
「すみません、もしよかったら、あなたのお名前を聞いてもいいですか?」
 けれども、それはなんか、怖い。
「……アイです」
 精一杯のサービスのつもりで、本当に名前だけ言う。
「アイさん……はい、分かりました(笑)」
 その一瞬の沈黙がなんだか片言に聞こえて、突然外人らしく見える。
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