絡む指 強引な誘い 背には壁 Ⅲ
このカフェに入ったことは一度だけあるが、まあまあだった気がする。
 とりあえず奥の目立たない席を選ぶとアイスコーヒーを頼んだ。クールにホットコーヒーといいたかったところだが、この暑苦しいのに、無理だと即決断する。
 コーヒーは用意していたのかと思えるほどすぐに現れ、しばらく宮下を待つ時間が流れた。
 時計もしていないので時間は不明。巽に時計もねだればよかったと、今更呑気な後悔が頭をよぎる。
「あ……お疲れ様です」
 それ意外に第一声は思い浮かばない。
「お疲れ様。はいバック」
 いつだったか、このスーツ姿を見ただけでドキドキしていた。あの頃から二人の関係は格段に変わってしまったが、それも仕方のなかったことだと、すぐに思考をシャットダウンする。宮下は真顔のまま、香月が会社に置き忘れていたバックをテーブルに乗せ、その真正面に腰掛けた。
「今日はどちらへ?」
 一番正しい質問。
「……なんだかんだで、佐伯さんとディズニーランドに……」
「それはいい気分転換になったな」
「まあ……」
 そりゃそうだ。宮下は今日一日あの息苦しい空間で働いた上、こうやってまた部下の身辺問題に首を突っ込んでくれようとしている。
「すみません、ホットコーヒー」
 クールな男だ、と思う。この熱いのによく温かい物が飲めるものだ。
 店が混んでいないせいか、コーヒーはまたすぐに席に出された。
「暑くないんですか、ホットで」
「え? いや、単に冷たいコーヒーがあんまり好きじゃないだけ」
「そうなんですか……」
「缶コーヒーも好きじゃないな」
 その話は聞いたことがあるが、何も言葉にしなかった。
 ブラックで一口飲んだ宮下は姿勢を正す、会話を始めよう、という合図だ。
「今何時ですか?」
 質問されるのが怖くて、違う一言を出してしまう。言ってから、甘えている場合ではないと、すぐに後悔した。
「今……7時半」
 彼はブルガリを見て言った。今7時半ということは、巽は……深夜2時か3時に仕事が終わるから……。
「今日はとりあえず体調不慮ということにした」
 一度目を逸らしたこちらの目線を追うように、宮下は視線を離さないでいるのが、香月にはよく分かっていた。
「ということにしたというか……」 
 あの時は実際体調が悪かった。それを治すためにディズニーランドに行ったということになれば全く話は噛み合わないが、事実なのだから仕方ない。
「佐伯は知ってた?」
 香月は首を振った。
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