無題
穏やかな月がまた、光に照らされた世界に闇を連れて行く。
朝の光が窓から差し込み始めた。
オフィス街はまた日常の喧騒に包まれる。
車が急いで通り過ぎる音や、コツコツと何足ものハイヒールが忙しそうに歩く音がこの洋館にも届いて来る。
しかし誰もこの洋館の前で立ち止まらない。
まるでこの洋館だけが別の次元に包まれて見えなくなっているように。
朝の光は千早の中にも届いたようだ。
「ん……。…あぁ…寝ちゃったんだ…。」
茶色のゆるい癖っ毛が、寝癖でさらにくしゃくしゃになっている。
冬眠から目覚めたクマのようにのっそりと起き上がると、コツンと足に何かが当たった。
まだ眠そうな目を凝らして見ると、それはあの桜模様の木箱だった。
少し乱暴につかんで持ちあげると、まだ眠いのだろう、薄くあいた目でしばらく箱を眺めていた。
すると何か思ったのかそれを持って、下の階に降りていった。
大理石の階段を降りると、エントランスを改造した綺麗なオフィスが広がっている。
そのオフィスの窓際にあるアンティーク調のチェストの前に立つと、千早は手に持っていた箱の蓋を開け、中の物をそっとチェストの上に座らせた。
透き通るようなきめ細かい黄色の肌、桜色の唇、そして薄桃色の袴姿。
昨日千早が初めて見た可愛らしい人形だ。