僕らのシナリオ
「あの、ね、私ね………」
「ん?」
飯島さんはまたしばらく黙る。
僕は口を挟む気になれなくて、そのまま静かに待った。
しばらくして、飯島さんの口が小さく開く。
「…………あのね………
私……ひとつだけ、わがまま言っても、いいかな。」
「うん。なんでも言って。」
「……………私………
私もね、名前で……呼んでほしい……な。」
「え?」
僕が思わず聞き返すと、飯島さんがさらにうつむいて両手をぱたぱたと横に振る。
「あ、ごめん!変なこと言って…」
「いや、いいんだけどさ。
なんか、改めて言われると、なんか照れるね…。」
ほんとになんとなく照れくさくなって、耐え切れずに前を向く。
ハンドルを握ってペダルをこぎだしながら、顔に当たる風で熱い顔を冷やす。
名前で、か。
でも、なつみちゃん、っていうのもなんだか距離感があって、嫌な感じがする。
かといって宮田さんみたいな、なっちゃんっていう柄じゃない。
じゃあ………
そんな間に、飯島さんの家の前につく。
飯島さんは素早く自転車から降りて、カゴの中の自分のかばんをとると、僕の顔を見ないまま焦ったように頭を下げる。
「あの、送ってくれてありがと。
変なこと言ってほんとにごめんね。
じゃ………」
小走りで玄関へ向かっていく飯島さんの背中を見つめて、息を吸い込む。
「飯島!!」
飯島が長いさらさらの黒髪を揺らして、驚いたように振り向く。
熱くなった頬を無視して必死で普通の顔を作り、ハンドルをにぎる。
「また明日な!」
それだけ言って飯島から顔をそらすと、僕は立ち漕ぎをして自転車を家に向けた。
暗闇に消えていく背中を見送って、かばんを思わず足元に取り落とす。
「あ、いけない………」
真っ白の頭をなんとか動かして、しゃがんでかばんを拾う。
出てしまったお財布をかばんに入れながら、さっきの言葉が頭の中で繰り返される。
「いいじま…………」
思わず口からこぼれた。
「いいじま………いいじま…って……言ったよね………?」
かばんをしゃがんだひざと胸の間に抱く。
「……………っ。」
一気に顔が熱くなり、頬が勝手に緩む。
叫びたい気分だ。
「〜〜〜っ!!!」
抱いたかばんに顔をうずめ、声にならない声をあげた。