キリと悪魔の千年回廊 (りお様/イラスト)
部屋の横の壁面いっぱいに広がる水景──
水面に煌々と灯された青白い魔法の炎が、巨大なウロコを輝かせる。
仔牛の頭をひとかみに砕くと言われる、肉質の頑強な顎からは、
凶悪な牙がのぞき、
がっちりした頭部には、
大きなリンゴほどもある緑の目玉が、宝玉のようにきらめいている。
大きな扇のようなひれを動かして、
黄金色の体をくねらせ、
ゆったりと水の中を泳いでいるのは、
黄金郷の名を持つどう猛な巨大魚──
「エルドラド──!?」
城の下に広がる湖で目にした肉食の怪魚を間近に見て、キリは一歩後じさった。
「驚かせてしまったかな」
かかった声に首を動かせば、
燭台が並べられた長いテーブルの一番奥に座って、キリたちに視線を送るイルムガンドル十七世の姿があった。
「お招きにあずかり光栄です、陛下」
ラグナードがうやうやしく一礼した。
すでにテーブルには
宮廷魔術師であるラグナードの姉、ディジッタの姿もある。
「かけるがいい」
と、赤い髪の女王が三人に席をすすめた。
慣れた様子でラグナードが自分の席へと向かう。
キリにイスを引けと命じていたとおり、
彼が何もしなくとも召使いがディジッタよりも一つ上座になるイスを引いて、王子様は当たり前のようにそこに座った。
家族で食事をするにはあまりにも長いテーブルで、
ラグナードやディジッタが座っている位置から、一番奥の国王陛下の席まではとてつもなく離れている。
王族というのはこんなふうに食卓を囲むものなのかとキリは驚いたが、
それよりも何よりも、
目の前を泳いでいるエルドラドのほうが気になった。
「これ……なに?
ガラスの仕切りがあるの? それとも水晶?」
まるで水底にいるような錯覚を覚える、
水中の風景と部屋の中を分かつ、壁面いっぱいの一枚窓を見つめたままキリはぼう然とつぶやいた。
「近づいてふれてみるといい」とイルムガンドルが言って、
キリはおそるおそる、巨大な黄金の魚に近づいた。
緑色の目玉が動いて、キリを見る。
そっと、室内と水中をへだてる透明な壁にさわって──
ざらざらした石の感触が返ってきて、
キリは大きく目をしばたたく。
「ただの石の壁だ」
と、ラグナードが言った。
「えっ……?」
「この壁の向こうには、エルドラドが放たれた王宮の池がある。
もっとも、たっぷり二メトルムはある分厚い石の壁に隔てられているから、エルドラドがどんなに体当たりをしても壊すことは不可能だ。
安心しろ」
「石の壁? でも……」
キリはエルドラドと見つめ合ったまま、
透きとおってはっきりと見える池の中や黄金のウロコに首をひねった。
エルドラドにも、明らかにキリの姿は見えている様子で、
目の前のごちそうを一飲みにしたいのか、大きな目玉がギョロギョロとせわしなく動いている。
「千年前に、ヴェズルングが魔法をかけた壁だと言い伝えられている」
女王が静かな声でそう説明した。
「いったいどんな魔法をかければそうなるのかは、謎だがな」
キリは大きく目を見開いた。
「そっか、この壁──『姿を消す』のと同じ霧の魔法がかけてあるんだ……!」
目の前の分厚い石の壁は、
人間を透明人間にする魔法とまったく同じ魔法がかけられた、透明な壁なのである。
頑丈な石造りでありながら、
ガラスよりも水晶よりもはるかに透明な、不可視の壁。
まさかそれで庭園の池と室内を仕切って、
水中の風景を食事をしながら楽しめるようにしてあるとは、驚くべき趣向である。
「そんな魔法がかけてあったのか。
さすが、ヴェズルングと同じ霧の魔法使いだな」
壁にかけられた魔法がどんなものであるのかを、あっという間に見破ったキリに、ディジッタが感心した様子で賞賛の言葉を贈った。
「ここは他国の賓客をもてなすのにも使うが、どの国の客人もそのエルドラドを見て息をのむ」
イルムガンドルが、少し楽しそうに言った。
「我が国の自慢の水槽だ」
水槽と呼ぶにはあまりに巨大な壁面いっぱいの風景を、キリは声もなく見つめた。
たしかにこれは自慢できるだろうと思った。
エルドラドをこうして横からながめることのできる場所など、世界中でもこの部屋だけなのではないかという気がした。