キリと悪魔の千年回廊 (りお様/イラスト)
「言われたとおりに、料理も残さず食べたぞ」
「残さず食べすぎだ!」
「────!?」
不思議そうに首をひねる天の人を見て、ラグナードは頭を押さえた。
「天に住む魔法使いたちはな、真空に耐える強靱な肉体を維持するために、常に鉱物を摂取するのだ」
兵士から手渡された王家の宝剣を抜き放ちながら、イルムガンドルは淡々と説明して鋼の瞳に弟を映した。
「つまり──
我々地上の人が、パンや肉、野菜を食べるように、
天の人は石や金属、宝玉を食べるのだ」
たった今、ジークフリートが宝石や食器まで食べている姿を目の当たりにしていなければ、ラグナードにとっては信じがたい生態だった。
ラグナードの脳裏には、
廊下に飾られた石像をながめて、
「食べ物か」と尋ねてきたジークフリートの姿が浮かんだ。
あのときの理解不能だった言動はこういうことかと思った。
今さらわかっても遅すぎたけれども。
帰還したラグナードが、執事の差し出した果実酒を飲み干したときにも、
ジークフリートが、ラグナードが執事へともどした杯に視線を注いでいたのは、「おいしそうな金属」をただの容れ物として使う地上の人の文化を初めて目にしたからだったのだ。
「地の人は、金や宝石を食べないのか……!?」
ジークフリートが、そのことに気づいた様子で目を丸くした。
「そんなもの食えるかッ!」
ラグナードは、根本的な違いを教えずにテーブルマナーの心配をした己を呪った。
できることならば時をさかのぼって、
えらそうに作法を説明するまぬけな自分をなぐりたおしてやりたくなった。
「鉱石を食らうことによって、
その血肉は血の一滴、羽毛の一本に至るまで、体内で精製された魔法の合金や鉱物結晶で作られている。
故に──
──彼らには地上で鍛えられたいかなる武器も通じない」
そう語って、
ジークフリートへと切っ先を向けるイルムガンドルが手にしているのは、
ラグナードが部屋に置いてきたはずの聖剣レーヴァンテインである。
「もっとも──
まさかその体を傷つけることが可能な剣が、この国に伝わっていたとは──私も知らなかったがな」
国王の手の中で、
彼女の静かな怒りを代弁するかのように、音もなく聖剣の刃から炎が立ち上った。
「そんなことも知らずに、天空の種族を連れ帰ったのか? ラグナードよ」
ラグナードはがく然としながら、
彼がたった今生まれて初めて知った、ドラゴンに関する知識をとうとうと語って聞かせた国王の冷ややかな視線を見返した。
「陛下はどうしてそんなことを知って……」
「痴れ者が!」
王がはきすてる。
「ようく覚えておけ!
『聖域の記憶』を識(し)る者を、かような見えすいたうそであざむくことはできぬとな!」
「聖域──」
ラグナードは、イルムガンドルの口から放たれたおそれおおい響きをくり返して、
世界の反対側から故郷にもどる途中、上空を飛ぶことさえさけて回り道をした聖なる大陸のことを思い出した。
伝説ではそこから世界がはじまったとされ、
巨人が住むと言い伝えられて、
各国の王と魔法使いだけが足を踏み入れることを許される大地──
「──第四大陸パノティアの……『記憶』……?」
ラグナードには、第四大陸の『記憶』というのが何のことなのかはわからない。
王と魔法使いには訪問が許されていると言っても、
すべての国の王や、魔法使いすべてがパノティアへ渡ったことがあるわけではない。
パノティアへの聖地巡礼には、危険がついて回ると言われているからだ。
実際に、聖域へと渡ったまま、もどることがなく行方知れずになってしまった国王や魔法使いの記録も多い。
「『聖域の記憶』とは、なんのことだ……?」
魔法使いであるキリなら何か知ってはいまいかとラグナードは彼女に目を向けてたずねてみたが、キリも肩をすくめた。
「さあ? そんなの知るわけないよ」
兵士たちが突きつけているギラギラした刃物をにらんで、
自分に向けられた槍や剣を霧にして消してしまいたい誘惑と戦いながら、キリは言った。
さすがにキリにも、
この場面でそんなマネをすれば、状況は好転するどころか真っ逆さまに急降下していくのが目に見えるようにわかったので、なんとか踏みとどまった。
でも
もしもこの槍や剣がキリに向かって突き出されたり、
誰かに腕をひねり上げられたりしたら、
魔法を使うのをがまんするのはちょっとムリそうだなと思いつつ、
「わたしもパノティアになんか行ったことないもん」
と、キリは言った。
パノティアから生きてもどった者の口からも第四大陸のことが語られることはなく、どのような危険があるのかは知られていないが、
王や魔法使いの中にも、わざわざ好きこのんで正体不明の危険があるパノティアに渡ろうとする者は少ない。
『聖域』に何があるのかは、行った者にしかわからないのだ。
それを知る国王イルムガンドルを、ラグナードはあらためて畏怖を抱きながら見つめた。
すべての王が第四大陸に渡航しているわけでは決してないけれども、
それでも、
ガルナティスでは、歴代の王たちは王位継承とともに必ずこの禁断の大陸に渡ってきた。
──度胸試しとして。
理由を聞いたときには、ラグナードも冗談のような理由だと思ったものだが、
危険な聖地巡礼は、初代国王フェンリスヴォルフ一世が築き上げた国を継ぐ王として、諸侯と国民に武勇を認めさせるための、王家の伝統行事なのだ。
深紅の髪のこの姉は、
今のラグナードよりも若い十代の年齢でイルムガンドル十七世として即位した直後、パノティアに渡り、生還した──
──まぎれもない勇猛な王なのである。
「【大いなる人】の大地か……そう言えば、地上の王と魔法使いは、あの地へ立ち入ることができるんだったな」
と、ジークフリートが赤い髪の王をながめて納得した様子でうなずいた。
「残さず食べすぎだ!」
「────!?」
不思議そうに首をひねる天の人を見て、ラグナードは頭を押さえた。
「天に住む魔法使いたちはな、真空に耐える強靱な肉体を維持するために、常に鉱物を摂取するのだ」
兵士から手渡された王家の宝剣を抜き放ちながら、イルムガンドルは淡々と説明して鋼の瞳に弟を映した。
「つまり──
我々地上の人が、パンや肉、野菜を食べるように、
天の人は石や金属、宝玉を食べるのだ」
たった今、ジークフリートが宝石や食器まで食べている姿を目の当たりにしていなければ、ラグナードにとっては信じがたい生態だった。
ラグナードの脳裏には、
廊下に飾られた石像をながめて、
「食べ物か」と尋ねてきたジークフリートの姿が浮かんだ。
あのときの理解不能だった言動はこういうことかと思った。
今さらわかっても遅すぎたけれども。
帰還したラグナードが、執事の差し出した果実酒を飲み干したときにも、
ジークフリートが、ラグナードが執事へともどした杯に視線を注いでいたのは、「おいしそうな金属」をただの容れ物として使う地上の人の文化を初めて目にしたからだったのだ。
「地の人は、金や宝石を食べないのか……!?」
ジークフリートが、そのことに気づいた様子で目を丸くした。
「そんなもの食えるかッ!」
ラグナードは、根本的な違いを教えずにテーブルマナーの心配をした己を呪った。
できることならば時をさかのぼって、
えらそうに作法を説明するまぬけな自分をなぐりたおしてやりたくなった。
「鉱石を食らうことによって、
その血肉は血の一滴、羽毛の一本に至るまで、体内で精製された魔法の合金や鉱物結晶で作られている。
故に──
──彼らには地上で鍛えられたいかなる武器も通じない」
そう語って、
ジークフリートへと切っ先を向けるイルムガンドルが手にしているのは、
ラグナードが部屋に置いてきたはずの聖剣レーヴァンテインである。
「もっとも──
まさかその体を傷つけることが可能な剣が、この国に伝わっていたとは──私も知らなかったがな」
国王の手の中で、
彼女の静かな怒りを代弁するかのように、音もなく聖剣の刃から炎が立ち上った。
「そんなことも知らずに、天空の種族を連れ帰ったのか? ラグナードよ」
ラグナードはがく然としながら、
彼がたった今生まれて初めて知った、ドラゴンに関する知識をとうとうと語って聞かせた国王の冷ややかな視線を見返した。
「陛下はどうしてそんなことを知って……」
「痴れ者が!」
王がはきすてる。
「ようく覚えておけ!
『聖域の記憶』を識(し)る者を、かような見えすいたうそであざむくことはできぬとな!」
「聖域──」
ラグナードは、イルムガンドルの口から放たれたおそれおおい響きをくり返して、
世界の反対側から故郷にもどる途中、上空を飛ぶことさえさけて回り道をした聖なる大陸のことを思い出した。
伝説ではそこから世界がはじまったとされ、
巨人が住むと言い伝えられて、
各国の王と魔法使いだけが足を踏み入れることを許される大地──
「──第四大陸パノティアの……『記憶』……?」
ラグナードには、第四大陸の『記憶』というのが何のことなのかはわからない。
王と魔法使いには訪問が許されていると言っても、
すべての国の王や、魔法使いすべてがパノティアへ渡ったことがあるわけではない。
パノティアへの聖地巡礼には、危険がついて回ると言われているからだ。
実際に、聖域へと渡ったまま、もどることがなく行方知れずになってしまった国王や魔法使いの記録も多い。
「『聖域の記憶』とは、なんのことだ……?」
魔法使いであるキリなら何か知ってはいまいかとラグナードは彼女に目を向けてたずねてみたが、キリも肩をすくめた。
「さあ? そんなの知るわけないよ」
兵士たちが突きつけているギラギラした刃物をにらんで、
自分に向けられた槍や剣を霧にして消してしまいたい誘惑と戦いながら、キリは言った。
さすがにキリにも、
この場面でそんなマネをすれば、状況は好転するどころか真っ逆さまに急降下していくのが目に見えるようにわかったので、なんとか踏みとどまった。
でも
もしもこの槍や剣がキリに向かって突き出されたり、
誰かに腕をひねり上げられたりしたら、
魔法を使うのをがまんするのはちょっとムリそうだなと思いつつ、
「わたしもパノティアになんか行ったことないもん」
と、キリは言った。
パノティアから生きてもどった者の口からも第四大陸のことが語られることはなく、どのような危険があるのかは知られていないが、
王や魔法使いの中にも、わざわざ好きこのんで正体不明の危険があるパノティアに渡ろうとする者は少ない。
『聖域』に何があるのかは、行った者にしかわからないのだ。
それを知る国王イルムガンドルを、ラグナードはあらためて畏怖を抱きながら見つめた。
すべての王が第四大陸に渡航しているわけでは決してないけれども、
それでも、
ガルナティスでは、歴代の王たちは王位継承とともに必ずこの禁断の大陸に渡ってきた。
──度胸試しとして。
理由を聞いたときには、ラグナードも冗談のような理由だと思ったものだが、
危険な聖地巡礼は、初代国王フェンリスヴォルフ一世が築き上げた国を継ぐ王として、諸侯と国民に武勇を認めさせるための、王家の伝統行事なのだ。
深紅の髪のこの姉は、
今のラグナードよりも若い十代の年齢でイルムガンドル十七世として即位した直後、パノティアに渡り、生還した──
──まぎれもない勇猛な王なのである。
「【大いなる人】の大地か……そう言えば、地上の王と魔法使いは、あの地へ立ち入ることができるんだったな」
と、ジークフリートが赤い髪の王をながめて納得した様子でうなずいた。