キリと悪魔の千年回廊 (りお様/イラスト)
「うわあああ!」
と声を上げて、
ジークフリートに剣を突きつけていた兵士の一人が、手にした刃をふり上げた。
ラグナードの背を冷たいものが走り抜け、
「やめよ!」
制止の命令を口にしたのはイルムガンドルだった。
切っ先が白い少年にとどく寸前で、かろうじて兵士が動きを止める。
「こいつが──こいつが殺したんです!」
と、若いその兵士は悲鳴のようにさけんだ。
「私の親友を、パイロープの地で──」
ラグナードは拳を握りしめる。
ジークフリートの正体が露見すれば、こうなるとわかりきっていた展開だった。
彼に怒りを向けるのはディジッタだけではない。
この場にいる兵士たちの中にも、ジークフリートに知り合いを殺された者は少なくなかった。
「こいつが──こいつが──私の親友を──……!!」
「そうだ。手を出せばおまえもそうなる」
冷静にそう言って兵士を止めるイルムガンドルと、兵士の剣の先にたたずむ天の人とを、ラグナードは見くらべる。
いまのところ、
あわや剣で斬りつけられるという場面でも、
ジークフリートはよけようともせず、
反撃しようというそぶりもなく、
身じろぎ一つせずに立っているだけだったが──
もしも彼がドラゴンの姿にもどって反撃に転じたならば、考えたくもない惨劇がくり広げられることになる。
「これは人の姿に見えても、そんな鋼の武器で立ち向かってかなう相手ではない」
イルムガンドルの言葉に、歯がみしながら兵士が剣を引き、
国王の手で燃えさかる炎の聖剣に視線を送った。
いやな汗がラグナードのほおを伝う。
キリによって封印が解かれたレーヴァンテインには、ジークフリートを殺傷する力がある。
この武器で攻撃されても、ジークフリートがおとなしくしている保証はなかった。
「おい……」
「問題ない」
思わずジークフリートに声をかけようとしたラグナードをさえぎって、ジークフリートは落ち着き払った視線を炎の剣に向けた。
「その聖剣では、もう俺は殺せない」
「なに……?」
「当たり前だろう。
一度味わった武器に、天の魔法使いがもう一度やられると思うのか?
剣の力はようく理解した。
未来永劫、二度とその炎の刃で俺を傷つけることができるなどとは思わねーことだな。
その剣で俺を殺すことができたのは、パイロープでのあの瞬間だけ。
あれが──おまえたちが俺を殺せた一度きりのチャンスだった」
ラグナードは、自らがつぶした機会がどれほど貴重なものだったのかをあらためて知った。
「その一度きりのチャンスに、ガルナティスの王子ともあろう者が、仇敵を殺さなかった理由をぜひ聞きたいものだ」
「ですから、それは──」
冷たい国王の声に、ラグナードはあわてて口を開き、
「黒幕がほかにいるから……か? それならば執務室で聞いた」
国王のセリフはとりつくしまもないものだったが、
「黒幕がいる」という言葉を耳にして、周囲の兵士たちがざわめき、動揺の気配が広がった。
「この者も──何者かに利用されて、ガルナティスの民を襲ったのです」
「だからどうした? それはすでに執務室で聞いたと言った」
ラグナードは、イルムガンドルや──周囲の兵士たちの顔を見回した。
手に取るようだった。
あのとき──
パイロープで、
キリの制止の言葉を耳にしたとき──
あのときのラグナードと同じだ。
利用されていたからと言って、
それでもこの天の人が同胞を殺した張本人であることには変わりない。
許せない。
彼らは今、あのときのラグナードとまったく同じ胸の内でいることだろう。
ならば、彼らにもまた
ラグナードと同じようにこの言葉が届くかもしれないと思った。
「俺はこの者に、失った誇りを取りもどす機会を与えたのです!」
ラグナードがジークフリートを殺さなかったのは、
キリが
「誇りを傷つけられたまま死んじゃうなんてかわいそうだよ」
と言ったからだった。
もちろん
キリは、その言葉がどんな重さで彼に届いたかなどわかってはいない。
「天の魔法使いは誇り高い一族だと聞きました。
我らとて、この国の王族として、騎士として、
誇りを失うことが死に勝る屈辱であると知っているはず……!」
この場にいる者たちは、
王族と、
そして貴族出身の騎士ばかりだ。
ラグナードはよく知っている。
彼らが最も尊び大切にするものは、ラグナードと同じだ。
「俺は幼少のころより陛下から、何を最も失ってはならないかを教えられて育ちました。
命を捨てても護るべきは誇りであると」
キリは目を丸くして、
必死に語る王子様をぽかんとながめた。
ラグナードは何を言っているのだろうと思う。
キリには、「誇り」とやらがそんなに大切だとは到底思えなかった。
「陛下は俺にいつもこう仰いました。
たとえ敵であっても、
名誉と誇りを尊重することが、気高い生き方であると」
キリには理解不能な言葉で、
王子様は切々とそう説いて、
「それが──おまえの選んだ道か」
ややあって、国王イルムガンドルが静かに瞑目した。
「おまえはこの天の人を殺すことよりも、この者と我らを陥(おとしい)れたまことの敵をともに滅ぼし、王国に仇なした天の人に誇りを取りもどす機会を与えることを選んだということか」
考えてみたら、それってただのバカかも──とキリは思ったが、
「確かに気高い選択だな」
閉じていたまぶたを開いた国王の口からはそんな言葉が飛び出して、
ええええ? とキリは心の中でびっくりした。
そういうものなの? と国王と王子を交互に見て、
それから、
そっと周囲の者たちの様子をうかがって、さらにキリは驚く。
ジークフリートにあからさまな憎しみを向け、
ラグナードには困惑の視線を向けていた兵士たちは、
先刻までとは打って変わって、どこか厳粛な顔で王子と天の人とを見つめていた。
名誉と誇り……。
キリはラグナードが口にした言葉を思いうかべる。
どうやらそれは、彼らにとってはまことに大切なものであるらしく、
それが彼らの心を動かしたらしい。
王族と貴族って……やっぱりよくわかんないな、とキリは頭をふった。
ただ──
ラグナードが単に優しい人だから、ジークフリートを生かした──というわけではないことはわかった。
パイロープでキリは単純に、無念そうに死んでゆく天の人がかわいそうだと思ったから、
その気持ちに正直に、ラグナードを止めた。
自分の心に正直に生きろと、
キリは魔王から、
それが魔法使いにとって一番大切なことだと教えられて育った。
魔法使いというのは、
『どこまでも───────な者』だからと。
けれども、
今、この場にいる兵士たちや国王や、ラグナードはそうではない。
彼らは自分の心を殺しても、
この国の人間を殺したジークフリートの名誉と誇りを取りもどすことのほうが大切だと考えているのだ。
「だとしても、この天の人が師匠を殺した事実はゆるがない」
変化しかけていたその場の空気を破って、怒りに満ちた声が響いた。
「姉上……!」
ラグナードが、はっとしたようにオレンジの髪をした姉を見る。
国王陛下や兵士たちとは異なり、
ラグナードの言葉を聞いても、ディジッタは先刻までと何一つ変わらない瞳で天の人をにらんだ。
「悪いが──ラグ、今この場所にいる私はね、王族ではなく魔法使いなんだ」
と声を上げて、
ジークフリートに剣を突きつけていた兵士の一人が、手にした刃をふり上げた。
ラグナードの背を冷たいものが走り抜け、
「やめよ!」
制止の命令を口にしたのはイルムガンドルだった。
切っ先が白い少年にとどく寸前で、かろうじて兵士が動きを止める。
「こいつが──こいつが殺したんです!」
と、若いその兵士は悲鳴のようにさけんだ。
「私の親友を、パイロープの地で──」
ラグナードは拳を握りしめる。
ジークフリートの正体が露見すれば、こうなるとわかりきっていた展開だった。
彼に怒りを向けるのはディジッタだけではない。
この場にいる兵士たちの中にも、ジークフリートに知り合いを殺された者は少なくなかった。
「こいつが──こいつが──私の親友を──……!!」
「そうだ。手を出せばおまえもそうなる」
冷静にそう言って兵士を止めるイルムガンドルと、兵士の剣の先にたたずむ天の人とを、ラグナードは見くらべる。
いまのところ、
あわや剣で斬りつけられるという場面でも、
ジークフリートはよけようともせず、
反撃しようというそぶりもなく、
身じろぎ一つせずに立っているだけだったが──
もしも彼がドラゴンの姿にもどって反撃に転じたならば、考えたくもない惨劇がくり広げられることになる。
「これは人の姿に見えても、そんな鋼の武器で立ち向かってかなう相手ではない」
イルムガンドルの言葉に、歯がみしながら兵士が剣を引き、
国王の手で燃えさかる炎の聖剣に視線を送った。
いやな汗がラグナードのほおを伝う。
キリによって封印が解かれたレーヴァンテインには、ジークフリートを殺傷する力がある。
この武器で攻撃されても、ジークフリートがおとなしくしている保証はなかった。
「おい……」
「問題ない」
思わずジークフリートに声をかけようとしたラグナードをさえぎって、ジークフリートは落ち着き払った視線を炎の剣に向けた。
「その聖剣では、もう俺は殺せない」
「なに……?」
「当たり前だろう。
一度味わった武器に、天の魔法使いがもう一度やられると思うのか?
剣の力はようく理解した。
未来永劫、二度とその炎の刃で俺を傷つけることができるなどとは思わねーことだな。
その剣で俺を殺すことができたのは、パイロープでのあの瞬間だけ。
あれが──おまえたちが俺を殺せた一度きりのチャンスだった」
ラグナードは、自らがつぶした機会がどれほど貴重なものだったのかをあらためて知った。
「その一度きりのチャンスに、ガルナティスの王子ともあろう者が、仇敵を殺さなかった理由をぜひ聞きたいものだ」
「ですから、それは──」
冷たい国王の声に、ラグナードはあわてて口を開き、
「黒幕がほかにいるから……か? それならば執務室で聞いた」
国王のセリフはとりつくしまもないものだったが、
「黒幕がいる」という言葉を耳にして、周囲の兵士たちがざわめき、動揺の気配が広がった。
「この者も──何者かに利用されて、ガルナティスの民を襲ったのです」
「だからどうした? それはすでに執務室で聞いたと言った」
ラグナードは、イルムガンドルや──周囲の兵士たちの顔を見回した。
手に取るようだった。
あのとき──
パイロープで、
キリの制止の言葉を耳にしたとき──
あのときのラグナードと同じだ。
利用されていたからと言って、
それでもこの天の人が同胞を殺した張本人であることには変わりない。
許せない。
彼らは今、あのときのラグナードとまったく同じ胸の内でいることだろう。
ならば、彼らにもまた
ラグナードと同じようにこの言葉が届くかもしれないと思った。
「俺はこの者に、失った誇りを取りもどす機会を与えたのです!」
ラグナードがジークフリートを殺さなかったのは、
キリが
「誇りを傷つけられたまま死んじゃうなんてかわいそうだよ」
と言ったからだった。
もちろん
キリは、その言葉がどんな重さで彼に届いたかなどわかってはいない。
「天の魔法使いは誇り高い一族だと聞きました。
我らとて、この国の王族として、騎士として、
誇りを失うことが死に勝る屈辱であると知っているはず……!」
この場にいる者たちは、
王族と、
そして貴族出身の騎士ばかりだ。
ラグナードはよく知っている。
彼らが最も尊び大切にするものは、ラグナードと同じだ。
「俺は幼少のころより陛下から、何を最も失ってはならないかを教えられて育ちました。
命を捨てても護るべきは誇りであると」
キリは目を丸くして、
必死に語る王子様をぽかんとながめた。
ラグナードは何を言っているのだろうと思う。
キリには、「誇り」とやらがそんなに大切だとは到底思えなかった。
「陛下は俺にいつもこう仰いました。
たとえ敵であっても、
名誉と誇りを尊重することが、気高い生き方であると」
キリには理解不能な言葉で、
王子様は切々とそう説いて、
「それが──おまえの選んだ道か」
ややあって、国王イルムガンドルが静かに瞑目した。
「おまえはこの天の人を殺すことよりも、この者と我らを陥(おとしい)れたまことの敵をともに滅ぼし、王国に仇なした天の人に誇りを取りもどす機会を与えることを選んだということか」
考えてみたら、それってただのバカかも──とキリは思ったが、
「確かに気高い選択だな」
閉じていたまぶたを開いた国王の口からはそんな言葉が飛び出して、
ええええ? とキリは心の中でびっくりした。
そういうものなの? と国王と王子を交互に見て、
それから、
そっと周囲の者たちの様子をうかがって、さらにキリは驚く。
ジークフリートにあからさまな憎しみを向け、
ラグナードには困惑の視線を向けていた兵士たちは、
先刻までとは打って変わって、どこか厳粛な顔で王子と天の人とを見つめていた。
名誉と誇り……。
キリはラグナードが口にした言葉を思いうかべる。
どうやらそれは、彼らにとってはまことに大切なものであるらしく、
それが彼らの心を動かしたらしい。
王族と貴族って……やっぱりよくわかんないな、とキリは頭をふった。
ただ──
ラグナードが単に優しい人だから、ジークフリートを生かした──というわけではないことはわかった。
パイロープでキリは単純に、無念そうに死んでゆく天の人がかわいそうだと思ったから、
その気持ちに正直に、ラグナードを止めた。
自分の心に正直に生きろと、
キリは魔王から、
それが魔法使いにとって一番大切なことだと教えられて育った。
魔法使いというのは、
『どこまでも───────な者』だからと。
けれども、
今、この場にいる兵士たちや国王や、ラグナードはそうではない。
彼らは自分の心を殺しても、
この国の人間を殺したジークフリートの名誉と誇りを取りもどすことのほうが大切だと考えているのだ。
「だとしても、この天の人が師匠を殺した事実はゆるがない」
変化しかけていたその場の空気を破って、怒りに満ちた声が響いた。
「姉上……!」
ラグナードが、はっとしたようにオレンジの髪をした姉を見る。
国王陛下や兵士たちとは異なり、
ラグナードの言葉を聞いても、ディジッタは先刻までと何一つ変わらない瞳で天の人をにらんだ。
「悪いが──ラグ、今この場所にいる私はね、王族ではなく魔法使いなんだ」