キリと悪魔の千年回廊 (りお様/イラスト)
とっさに家の中へと引き返そうとしたラグナードの手を、キリが握った。
「霧が晴れる前に出発しよ」
戸口に立ったままあり得ない発言をする少女と、眼前に広がった白い色とをラグナードは見比べた。
霧の中は世界ではない。
あらゆる秩序が失われた原初の混沌だと言われている。
方向が失われ、
物質同士をへだてる境界が失われ、
人をはじめあらゆる生き物が迷い込めば生きて戻ることはできず、いずれ形を失って霧になってしまう。
「そう言えば」と、さらに色を深くする霧の中で、キリはのんきに首をひねった。
「ラグナードはどこから来たの?
森の中を三日間かけてここまで来たって言ってたけど、ここから一番近い人里でも、歩けば一月はかかるはずなんだけどな」
「……俺は『杖』を使って来た」
「杖!?」
キリが頓狂な声を上げる。
「杖って『飛行騎杖』のこと!?」
「ああ。ここから歩いて三日ほどの場所に、杖を降ろせる開けた場所があった」
「そこに飛行騎杖を置いて歩いてきたの? どっちの方向?」
ラグナードは無言で、来た方向を指さした。
「じゃあ、しゅっぱーつ」
キリが脳天気に霧の中へと一歩ふみ出して、ラグナードはあわててその手を引いた。
「ばかを言うな。霧が晴れるのを待ってから……」
どの国のどの町や村にも、人里には霧の発生を告げるための鐘つき台が置かれ、警鐘が鳴らされたら誰もが家の中に閉じこもって霧が晴れるまでやりすごす。
万一、こんな森の中などで霧に遭遇した場合も、すぐさま灌木の下や茂みの中などに逃げこんで、ひたすらじっとして霧が晴れるのを待つのが当たり前だった。
こうして霧に身をさらして白い色の中に立ち続けているだけでも狂気の沙汰だ。
「だいじょうぶ」と、キリはほほえんだ。
「わたしは『霧』の魔法使いだよ?」
自信たっぷりにそう言って、エメラルドグリーンの瞳は古ぼけた家を振り返った。
なにやら懐から小瓶を取り出して、木の栓を開ける。
──と、
目の前の家から何かが吹き出して、瓶の中へと吸い込まれて消えた。
「……なんだ?」
「旅の荷造り」
いぶかしむラグナードにキリは意味不明の説明をした。
荷造りと言っても、キリは家を出たときから何の荷物も持っておらず、今も相変わらず手ぶらのままだった。
「この方向に歩いて三日ほどの距離にある、開けた場所ね」
キリは確認するようにつぶやいて、手にした小瓶をふたたび大事そうに懐にしまいこんだ。
「行こ。わたしと一緒にいれば、霧の中に入ってもへいきだよ」
どんな根拠があるのかきっぱりと断言して、霧の魔法使いは躊躇(ちゅうちょ)するラグナードの手を引っぱった。
「霧が晴れる前に出発しよ」
戸口に立ったままあり得ない発言をする少女と、眼前に広がった白い色とをラグナードは見比べた。
霧の中は世界ではない。
あらゆる秩序が失われた原初の混沌だと言われている。
方向が失われ、
物質同士をへだてる境界が失われ、
人をはじめあらゆる生き物が迷い込めば生きて戻ることはできず、いずれ形を失って霧になってしまう。
「そう言えば」と、さらに色を深くする霧の中で、キリはのんきに首をひねった。
「ラグナードはどこから来たの?
森の中を三日間かけてここまで来たって言ってたけど、ここから一番近い人里でも、歩けば一月はかかるはずなんだけどな」
「……俺は『杖』を使って来た」
「杖!?」
キリが頓狂な声を上げる。
「杖って『飛行騎杖』のこと!?」
「ああ。ここから歩いて三日ほどの場所に、杖を降ろせる開けた場所があった」
「そこに飛行騎杖を置いて歩いてきたの? どっちの方向?」
ラグナードは無言で、来た方向を指さした。
「じゃあ、しゅっぱーつ」
キリが脳天気に霧の中へと一歩ふみ出して、ラグナードはあわててその手を引いた。
「ばかを言うな。霧が晴れるのを待ってから……」
どの国のどの町や村にも、人里には霧の発生を告げるための鐘つき台が置かれ、警鐘が鳴らされたら誰もが家の中に閉じこもって霧が晴れるまでやりすごす。
万一、こんな森の中などで霧に遭遇した場合も、すぐさま灌木の下や茂みの中などに逃げこんで、ひたすらじっとして霧が晴れるのを待つのが当たり前だった。
こうして霧に身をさらして白い色の中に立ち続けているだけでも狂気の沙汰だ。
「だいじょうぶ」と、キリはほほえんだ。
「わたしは『霧』の魔法使いだよ?」
自信たっぷりにそう言って、エメラルドグリーンの瞳は古ぼけた家を振り返った。
なにやら懐から小瓶を取り出して、木の栓を開ける。
──と、
目の前の家から何かが吹き出して、瓶の中へと吸い込まれて消えた。
「……なんだ?」
「旅の荷造り」
いぶかしむラグナードにキリは意味不明の説明をした。
荷造りと言っても、キリは家を出たときから何の荷物も持っておらず、今も相変わらず手ぶらのままだった。
「この方向に歩いて三日ほどの距離にある、開けた場所ね」
キリは確認するようにつぶやいて、手にした小瓶をふたたび大事そうに懐にしまいこんだ。
「行こ。わたしと一緒にいれば、霧の中に入ってもへいきだよ」
どんな根拠があるのかきっぱりと断言して、霧の魔法使いは躊躇(ちゅうちょ)するラグナードの手を引っぱった。